春は修羅、夏は悪魔、明日はまた

じっとしていると悪いことばかり考えてしまう癖がついたのはいつからだったろう。いまや当たり前になってしまい忘れていたが、元々考え癖のある自分ではあったが、悪いことばかり考えているわけでは、元々なかったように思う。

小さい頃は妄想ばかりしていた。手から雷を出したり、大きな剣を振り回したり。ファンタジーでなくても、好きな女の子と明日どんな話をするとか、テストで100点を取るとか、そういうことを考えていたかも。いつからか、悪い未来の想像や、自分の良くない過去を思い返すことの比重が増えていった。良くない過去を思い返すと、過去や現在の積み重ねである未来も、良くない想像が予見され、絶望に至る。

謝りたいことややり直したいことが生きれば生きるほど増えていく。積み重なった過去によって出来上がった自分という人格を引きずって歩くことが、新たな轍を生む。早く死んだ方がいい、論理的に考えると、そう思ってしまう。これまでもそうであったのだから、これからもそうであるだろうという推察は、そんなに破綻したものではない。

鬱は大人の嗜みだと、リリー・フランキーが言ったらしい。腐った世の中で気が滅入るような感性を持つことが大人であると。鬱になんてならない方がいいのは自明だ、でもそう言い換えること自体にケレン味を感じる。苦味を噛みしめながら大人の嗜みであると洒落ることそれ自体が、確かに大人の嗜みかもしれない。言い得て妙とはまさにだ。

最近ブログを書こうと思う日が増えた。良いことでも悪いことでもいいんだけど、頭に浮かぶことを表に出すことそれ自体の健全さを思う。言えないことが多すぎる。言えないことが多いから、言うことも意味ないような気がしていた。でもそんなこと関係なく思うことを吐き出すことですくわれることもあることを思い出した。かっこよく思われたいとか、センスあるように見られたいとか、そういうところがいくつになってもある。というかなんか年々形を変えて増しているような気もしてきている。本当はめちゃくちゃダサくて、というかなんか、それを認めていればもっと上手くいったこともあったのかもしれない。

おれは疲れている。疲れているんだろうな本当に。立派になりたいのも優しくなりたいのもお節介なのもセンスないのもそれを取り繕いたいのもなんか疲れた。なんか全部めんどくせ〜。あいつをどうやって殺してやろうか。おれにとってあいつって、いつだって自分のことだ。春と修羅。2009年、春、どしゃぶりの夜だって。10年以上前の曲じゃん、やっば。おれは今、なんかすごい孤独だ。おれは今、なんか、すごい孤独だ。耐えられないなんてダサくてずっと言えなかったけど、もう耐えられないかもしれない。