震え

人生って震える。昨日は密度の高い空気の箱をぶつけられたような衝撃を感じる一日だった。それは良い悪いとかでなく、ただただ、本当に大きい衝撃がそこにあった。おれは運命ってあると思っている。それは奇跡的ではあるけど大袈裟ではなくて、おれの持ち物や生きてきた軌跡、関わってきた人たち、向き合い方、意思、そして目に見えるもの見えないもの、色んなものが大きな流れとなっておれを後押ししている。そこに運命としか言えないような出会いや事象が待っていてくれて、嬉しいことや小さな光がある。ある意味当たり前というか望まれた未来があるだけというか、なんというか上手く言えないんだけど、それってもちろん悲しいこととか苦しいこともあって嬉しいことばかりでないんだけど、でもおれがおれでいる限り、強くそうある限り、おれ的な未来が待っているってことだと思っている。それは結果的に、どちらかというと望まれる未来に近しい属性を持っているということだ。

大きなオーディションがあった。それ一つでその先の人生が変わるような大きなもので、それはまあ緊張しないわけはないんだけど、それと同時に自分一人の範囲でその結果を全てをコントロールできるような規模ではないから、なるようにしかならないだろうと思う。色んな人の想いや人生が絡み合っている大きなカオスが、大ホールで形式的に淡々とおこなわれているシュールさよ。ただ渦中にいる我々はうねる。あー生きてるって思う。こうやってやっていくしかない!!でも人生って震えた。

愛ある人と話をした。生活が変わって、人生が変わるらしい。劇的って着実だと思った。積み重なって積み重なって人は変わるし大きな結果がある。うわ生活しかない!!!

感性が剥がれ飛ぶ!生活だけが残る!!そういうこともあるけど、感性は感性で生活がないと生まれないのだという気付きよ。おれはおれであるの先は、おれの生活だ。

あーおれは愛せるものしか愛せん。ずっと愚かにおれさを垂れ流しながら、泣いたり糞尿も垂れ流しながら、愛をやってくんだろうと思う。見逃したくないよ、震えを。

自分の愛がわからないという話を聞いた。それってあなたの感想ですよね?あなたが生んだものは誰かの記憶や心に残ることもあるし、誰かが見つけてくれることもある。おれは愛って何かわかんないなってずっと考えてきた!今も正解かわからないけど考えてきたことそれ自体にいつの間にか価値が生まれていたように思う。理屈じゃなくても物量がいつか理屈になってくれてることもあるからマジで一生懸命やるしかない。

震えすぎて疲れたから今ずっとベッドの中。夕方から出かける予定、好きな人たちとそうでもない人たちと。あーなんか、好きな人がいるのって嬉しいなあ素直に。何回も機会があったけど、死ななくてよかったマジで。