低気圧

懲りないもので普通に無職になりたい、頭が痛いのは気圧のせいかなんなのか。昔のブログを読み返したら鮮烈すぎて泣ける。あんな文章いまのおれに書けるか。感性を失うくらいなら死んだ方がいいと思うが、生き続ける先にしか得られないものも知ってしまった。問題は何でもできるが何でもできないこと。生きるのが息苦しい。

 

↑昨日の夜に寝る前に書いてた文章

つまんなくて元気ない日ってぜんぜん普通にあるな、ていうか自分の愚痴とか悲しみの発露があんまり輝いてないのが悲しい。

昔のブログを読み返してたら本当に鮮烈で、それは何かって自分の感性をすこぶる尊重していて、色んな苦しみや悲しみの根底には、それ自体がどうこうというより、心が揺さぶられているという事象が前提にあったからだと思った。今おれは自分の感性をそんなに信用していない。おれにそんなにおれに価値を見ていない。それは卑屈だとかでなく、客観視できるようになったというか、事実というか。そう、おれはずっとおれになりたかったんだけど、今はおれの持ち物だけで生きていかなくてはならないという気持ちがある。このままじゃいけないって気持ちがずっとある。もっと芯になりたい。無くしたものも手にしたい。全てである。おやすみ