小雨が燦々と降る夜はエモい

詩、もしくは思想の日記

島を渡る

先日「知らないことあるんですか?」と問われて、あるに決まってるのにすぐ答えられなかったことがなんだか忘れられない。おれは何を知っていて、何を知らないのだろう。これまで何を知ってきて、これから何を知っていくんだろう。事実という言葉と、真実という言葉がある。おれが知っているのは、おれが使いこなせていると信じている言葉で、おれが知覚できていると信じている感覚、おれが表すことのできていると信じている事実、そしてそこにあった言葉にできない感情だけだ。永遠があった気がするし、ぜんぶ忘れているのかもしれない。形のあるものも無いものも、そんなに違いはない。消えないものに執着しているのに、消えてしまうものに永遠を見出そうとする気持ちもある。おれと世界が分断される。廃墟の上に立っているような錯覚、過ぎていく透明な風がなでる輪郭と輪郭の境界、夜と朝、朝と昼、昼と夜の入れ替わる一瞬にブルースを感じる。魂ってあると思う?おれはあると思う。おれがあると思うってことは、おれの方にはあるんだ。そっちはどう?そうやって島を渡って、また新しい世界がある。だからあなたの醜さに慄いたりしない。おれが知らないものは、今おれが決める。きっと、それは美しさに近いものだ。

恋とか愛とかの渦

さいきん若い人たち恋愛模様みたいなものを間近で見せられていて食傷気味。みんな恋愛が好きで、決まりきったようにみんな恋愛が好きだからちょっとグロテスク。もちろん自分もその一部であることは否めない。誰かの存在にすがったり、誰かの存在に希望を見出してしまうことに自覚があるからこそ、わたしは地に足をつけねばと背筋を正す。やるべきことから逃げ続けて目が回っている。終わるものはどうせ終わるし始まるものはどうせ始まっていくからそこに希望も絶望も属性はなく、ただ幸福に時を過ごすだけなのに不安や戦慄や目に見えない闇が襲ってくる、誰かおれと美味しいものを食べてくれ、どうにかなってしまうことなんて街中に転がっているんだ。大好きな友達が結婚することが寂しい。結婚したから人が変わるなんてわかりやすく思ってないけれど、誰かとパートナーとなり筋を通して生きていくということ、そしてそれは大概意識するにせよしないにせよ他を切り捨てていくという透明な覚悟を孕んでいて、その人の人生の大筋から弾かれてしまったような感覚を覚えてしまう。いま書いたのは観念的な話だけれど、即物的な話にしてもやっぱり生活とか家庭とか、人によっては子育てとかに時間などリソースを割かれていくことになるだろうからあんまり遊んでくれなくなるだろうし。人はひとりでみんな他人なのぜんぜん知ってるけどそういう話じゃなくて、友達は身内じゃん。一対一だけど世間vs俺だし世界vs俺じゃん。そしていま自分が足を置いている地面は社会だし、社会ってのは人の集まりじゃん。誰とも何とも関わらず、自給自足で仙人のように生きていくことは俺にはできないから、人との関わりという事柄とはずっと付き合っていかなくてはならないだろうし、こういうことを考えていると気が滅入ってくる。はあ。さっきインターネットでまた気圧の話を目にした。今日は気圧がアレらしい。元気ないから今日はラーメン食べちゃおうかな。お金、引くほど無いけど。

ひとりはこわい

曲を作っている。完璧主義はあまり良くないからこだわりすぎないように、でも魂を込めて。こんなに怖かったっけ、ひとりで全て完結させるということ、責任を負うということ。バンドメンバーが待ってるとかライブやイベントや企画があるとかでなく、単に作りたいから作る、というのは実は初めてかもしれない。ずっと何かに追われて作ってきたから。歌を録るためにクーラーを切る。小さな個室で生き物が一匹、汗を流している。きっと誰にも褒められない、当たり前。お金を貰えるわけでもない。ただ生きているだけ。生きてきて思いついたものを形にするということ。面倒で、面倒なこと以外要らないんだと思う、本当は。誰かと会ったり話したりするのも本当は面倒だ。色々な面倒がある。はやく形にしたい。今のおれはここまでってこと、そして続いてくっていうこと。知りたいものは変わっていくけど知りたいということは変わらない。美しさって何?

嫌な夜、明くる朝の死神

人生で初めて、自分の若さみたいなものについて強く考えている。いまわたしは声優という職業を目指していて、毎日考えたり努力したりしている。この業界は基本的にとても年若いので、役者というものに年齢は関係ないと言いながらも、やはり自分に残されたタイムリミットみたいなものを否応なしに意識してしまう。もうすぐ30歳になる。まだずっともがいてる。自分の目指すもの、歩むべき道、やるべきこと。ずっとずっと考えている。そしてどんどん良くなっている、けれども、それは自分の中の話で、社会や外聞といったものから自分はどう見られ、扱われるのかはまた別の話だ。もうすぐ、30歳になる。それともうひとつ、時間があるからか、ちかごろ自分の醜さのようなものがやけに目につく。どれだけ誤魔化してきたのかがわかる。みんな幸せになってほしいなんて綺麗事をずっと言っていた、そんな自分をずっと信じていたけど、あれは嘘だ。みんなぼくのことで傷付いたり、一生忘れないでいて欲しかったりする。居なくなってしまった人には、不幸になってしまえと思うこともある。嫌なニュースばかりだ。嫌なニュースと、嫌な人と嫌な言葉ばかりだ。誰かが誰かのことを傷付け続けている。それはきっとみんな心が貧しく、余裕がないからなのだろう。そして今たぶん、おれも心が貧しい。また朝がくる。眠れない夜にはもう飽き飽きだ。一睡もしないまま、また今日が始まるのだろう。最悪、本当にさいあく。

流れるのはフロウ、おれはいつも水に興味がある

先日、友達に誘ってもらってサイファーに参加させてもらった。サイファーってフリースタイルダンジョンみたいな感じでめちゃくちゃ韻を踏んでめちゃくちゃdisり合うのかと思ってたんだけどそういうのではなかった(ど素人のお手本みたいな感想)。ビートに乗せてただただ会話をし合う、そこで韻が踏まれてたりしたらそれはとてもクールではあるんだけど、別にそういうのが必要なのではなく、ただ普通に話すのとは違う展開を見せたりするのが面白かったり、そもそもビートに乗せて話をするのがとても気持ち良かったりしてかなり魅了されてしまった。晋平太さんのフリースタイル・ラップの教科書を買って読んだし、最近はYouTubeでフリースタイルバトルの動画ばかり観てる。当たり前だけどあらゆる文化には文脈があって、掘れば掘るほど歴史がある。最近友達に勧められてCreepy Nutsのラジオにハマりまくってるのもあって、すっかりR-指定さんのファンになってしまった。同い年なの信じられん、それはRさんが同い年にしてはすごいって話でなく(いやすごいけど)、自分の完成されてなさへの呆れと希望について。年齢の話したくないな、どんどん良くなってるのに賞味期限を突きつけられている気分になってくる。けっこう幼い顔してるから誤魔化させてほしい。いつまで経っても伸び代しか無いっす。増えていくリスク、減っていく貯蓄、希望も絶望もどんどん膨れ上がってく、未来はどんどん見えん、良い意味悪い意味どちらでも。映画みたいな過去はけっこう持ってるしこれからもどんどん面白くなってけ、でも自殺の方法も考えてるいつも。いつ曲線が下にふれる?希望と絶望の損益分岐点

暮らしと退廃と光

生きてるって感じする?生きてる感じってなんだろう。刺激をいつだって求めていて、退屈を上塗りしたくてやってきたけど、大切なことはけっこう退屈だったりする。会社という場所に行かなくなって95日が経った。本を読んで知らない世界を知るのも、必要なことを勉強するのも、PCの前に座って作曲するのもけっこう退屈で淡々としていて、それだけで簡単に一日が過ぎてしまう。でも身に染みていく感覚はこれが大事なんだと言っている。刺激の眩しさで感覚を眩ませて感情を動かして、存在の振れ幅に重点を置いて今日までやってきた。それは無駄ではなかったけれど、ふわふわ密度のでっかい爆弾でもあった。何をやってきて、これからどうやって生きるんだろう。今からでも何一つ遅くはないと、なんでこんなに全てが遅いんだろうがいつも交錯してる。運命を信じてるから全部上手くいくと思うし、運命を信じてるから今までにやってきた悪いことがおれに罰を与える気もしてる。おれは才能を活かしきって死にたい。その気持ちに嘘はないけれど、今日も夜更かししてる。魂を削りたい。魂を飾りたい。

光、液体、祈り

浴びることができるのは液体だけだと思っていたけれど光も浴びることができるらしい、言葉って面白いですね。そうそう、わたしは人間らしさを愚かさやノイズのようなものだと思い込んでいて、研ぎ澄まされるということと機械になることの違いについてずっと考えていたのだけれど、人間であるということは孤独であるということなのではないかと勘付いた。愚かでなくても人間でいられる!これは個人的にはかなり核心なのである。ところで最近は毎日The Last of Us Part IIのことを考える。凄いゲームだった。凄惨で迫力のある物語だった。賛否両論あるだろうけど賛否両論なきゃ嘘だと思う。生きるということと殺すということ、それが哲学でなくただただ端的にリアルなものとしての手触りがそこにあった。それだけで強度を保つことが充分に出来ていたし、それだけで充分過ぎるテーマだった。ところでゲームって他人に勧めにくい。ラスアス2(Last of Us Part II)も10時間くらいの映画か連続ドラマにしてくれたらゲームやらない友達にも勧められるのに、って思うけどゲーム実況動画って結構な文化だな。ゲームできない人にとって革新的だったのかもしれないね。わたしはゲームかなりやるからあんまり気にしたことなかったけど。今日はめちゃ好き友達とギター見に行ってギター欲しくなって、本当に久しぶりに働きてえ〜!働いてたら買ってた!みたいな気持ちになれてよかった。お金使いたいです。10年前だったら仲良くなれてなかっただろうな〜みたいな人たちといま仲良くできてるの最高だな〜って思った。10年前に上手くやれなかった人たちとも今なら上手くやれるかもしれないと思うと少し寂寥。でもそれがなかったら今のわたしは居ないので縁って本当に難しい。必要な出会いも奇跡的な出会いも沢山あった。そうでないといけない気がするから、運命ってあるとおもう?わたしはあると思う。とりあえず、わたしの好きな人たちは全部大丈夫、それを傲慢に強く信じてる。祈りです。