シノナツをこえたい

夏は永遠に続くような暑さを湛えていたのにあっさりと終わった、何かが終わることについて綺麗にいくことの方が少ないなんていつ諦めただろう。こういうとき例えば恋の終わりのように、というようなありきたりでいちばん簡易的に人の心を撫でられそうな語彙しか浮かばない自分のつまらなさがポカンと宙に浮く。斬新でいたいし、普遍でもありたい。オンリーワンでありたいし、理解もされたい。才能とは孤高であって孤独ではなく、誰かに刺さって活躍する。才能はそれ自体より需要に寄せて活用する才能の方が重要で、感性だけでなく知性や理性や社会の上で立ち位置を把握するバランス感覚も同時に求められる。あなたに何を届けられるだろう。おれはおれの何に需要があるのか。美しさって何。何百回繰り返す死にたい夜の何回目で本当に死ぬのだろう。二度と会わないと思う人とは本当に二度と会わないのだろうか。ずっと好きだと思う人のことは本当にずっと好きでいられるのだろうか。これから出会いと別れを何度繰り返すのだろうか。いつまでこういう感じでやれるのだろうか。人生終わったっていつ思うのだろうか。本当に終わるのはいつなのだろうか。もう終わってることに気付くのはいつなのだろうか。生まれた意味、あなたに会えた意味、あなたと分かたれた意味、生きている意味、暮らす意味、暮らさない意味、夜と朝が繰り返すということ、毎日は繰り返さない一日の繰り返しということ。皮膚の下に肉があり骨がありおれが居るということ。来ないかもしれない明日が、夜明けが、きっと何かを信じてきたおれを越えていくということ。夏は生にも死にも近い季節で、ほらまた終わっていった。さよなら。