カサブタ

剥がれた日々の裏につまらないが詰まっている。

いま日々に美しいものがない。頭痛で頭が重たい日々は憂鬱になって気持ちも重くする。

10年好きだったあの子のことを久しぶりに思い出していた。雪が降って冷たく張り詰めた空気の中であなたはつめたい星のようだと思いながら一駅を歩いた。一生好きだと思ってた気持ちも凪ぐものである。あの川縁から君の家に向かった夏、荷物を忘れさえしなければ、いや、全てを投げ出してそこに居られたなら、何か変わっていたのだろうか。思い出ばかり綺麗になっていくのは虚しい。新しい皮膚が欲しい。あの夜のことはいつも思い出す。

永らく運命論者だったけれど、今はそれを信じられなくなっている。やっぱり、何か変わっていたのかもしれない。あの日ああしていれば、あの日ああしていなければ。

ずっといてほしいと思っていた友達もかなり減った。いや、おれは本当は友達なんて一人も要らないのかも。ぜんぶがぜんぶ、特別しか要らないんだ。特別しか要らない。夢みたいなことばかりぼやいていたら、夢みたいな存在になっていた。頭が痛い、今この痛みだけが異常にリアルだ。死、それはいつだって間違いない全員にとってのネタバレだけれど、概念としてのそれが、ありふれたものとして湿度を増している。

昨晩、頭が痛すぎて、もしこれが何か酷い病気で、眠ったまま死んでしまったらどうするだろう、そう考えながら眠りについた。正直、思ったより絶望できなかったことに静かに絶望した。なんか、もう、走り疲れた。愚かでいることに疲れた。この辺で死んでおくのも、なんか、それはとても自分らしいのではないかと思った。少しの人が喜び、そこそこの人が悲しんでくれるのだろう。16巻くらい続いた、そこそこ人気があった少年マンガみたいな人生。とても、自分らしいと思った。

優しさに触れたくなってandymoriをかける。愛をあげるよ、そんなにたいしたものじゃないんだ。こわれものの器だから愛せたものもある。愛してくれた人を愛せなかったことが沢山ある。愛って何、才能がないことだけはとてもよくわかる。デカすぎる気持ちだけがそれだと思っていたけれど、その気持ちを整える行為の方がそれに近いのだと、ずっと大事なのだと気付いたのは最近のことだ。

1人でいるのがいちばん好きだったのはいつ、小学生の頃だ。本を読んで、その物語にのめり込むのが好きだった。いつかこんなつまらない世界から、知らない異世界へ飛んでしまったらどうしようなんて思っていた。そんな小学生の妄想のような物語がいま流行っているのは、滑稽な話だ。

結局届かないものほど安心して追うことができる、おれはここに立っていられないだけ。立ち止まったら気が狂ってしまうから立ち止まれないだけ。でも体力は老いていくばかり。いつか走り回ることも出来なくなってしまった時、おれは、おれは、おれは。

ゆっくりするってなんだ?何も考えずにぼーっとした時間を過ごした記憶がしばらくない。俺に今いちばん必要なのは坐禅やその類かもしれない。

筆が止まらない。こんなに筆が走るのはいつぶりだろう。もう書きたいことなんてないと思っていた。言いたいことなんてないと思っていた。言葉に出来なかっただけか、言葉にするのが怖い、自分のつまらなさを。

君たちの友達は面白い人ばかり、君たちの恋人は面白い人ばかり。おれはandymoriハヌマーンpegmapフーバーオーバーチャットモンチーQomolangma Tomatoとか終わったバンドばかり聴いて生きている。こんな30代になっていた。終わってる。亡霊のようだ、誰がどう思おうと、おれ自身が、どうしてもおれ自身をそう思っている。

頭が痛い。おれの中の優しさや穏やかさって、どこへ行ったんだろう。さいきん飢えてばかりだ。