かかわり

今日は先輩とお茶してきた。仲が良いといえば仲が良いとは思うが、年に数回も会えば多い方。そんなわけで、私にはあまり近しい人には話せない話ができるとのことで、色々な話をしてくれる。多分"ちょうどいい距離感"なんだと思う。

ありとあらゆる知人と"ちょうどいい距離感"で関わっていたいといつも思っている、それは「一般的な」友達だとか「一般的な」恋人だとかそういう名前をつけないで、人は皆ちがう存在だから、その人その人に合った関係性や距離感で関わっていたいと思っているのだが、理想論。私は他人の全てに興味がありすぎるから、大概いつも近付き過ぎてしまう。柔軟な方でもないし、結局のところ既成概念に沿っておいた方が上手くいくのだろう。私の場合は。

上京したての頃、たまたまライブ会場で知り合った女性と話すようになり、うちに遊びに来てくれたことがあった。出会って早々だったのに誕生日にケーキを作ってくれて、それは素直に嬉しかったのだけれど、終電が近くなった時間にお帰りいただいたら、えもいわれぬ空気が流れたことを覚えている。いま思うと「一般的には」お付き合いをする流れだったのだろうと思う。わたしも素直に関わっていただけだが、とても良い感じの方だったので、悪いことをしたと思う。

「恋愛」という形式でしか深く知り合えないような人もいる。なぜあの人とそういう関係を築いたのだろう、そういう話を友人としていた時に「恋愛でなければ仲良くなれなかった」という言葉が胸に残っている。とても切ない。私にもどうしても近い関係になりたかった人がいた。それが適した関係性でないことはわかっていたのに、他の方法を知らなかった。そうやって関わった人とは、たいてい絶縁状態になる。だって「恋愛」ってそういうものだから。そういった形でも関われたことと、関わりを持てなかったこと、どちらが善いことだったのだろうと振り返る。

いつだって今の自分と関わってくれる人と、より良い関わり方を模索しながら関わっていくしかない。

深く関わりがある頃から「あなたとはいつまでも一番適した関係性でいたい」と伝えていた人がいる。その人とは上手くいかなかったけど、今も友人として関わりがある。それがきっと適した関係性だったから。一義的な恋愛関係ではなく、意思疎通を図って関係性を築けたこと、それが宝物でとても嬉しい。自分と関わりを持とうとしてくれる人のことは大切にしていきたいと思う。