絶望体験記

あまりにもな悪夢で目が覚めた。悪夢の嫌なところは内容もさることながら、自分自身の中から生まれるものなので、自分がこんなことを考えていたのだと明確に思い知らされるところだ。

確かに、そう。おれはなんとなくそんなことを考えていた、かも。それが具体性を帯びて、体感として押し迫ってきた。なんてものを見せてくれるんだろう、俺の脳は。俺を殺したいのだろうか。自分自身が敵になることは、流石にやめてもらいたい。

I and 愛

全てがチグハグでガチャガチャ!こんなに希望を持った人格で、絶望を抱えながら生きていかないとならない俺の業。30年以上生きてて俺の人生を支えているのは、10代の頃、10年以上好きだった女の子の「あなたの愚かさを愛してあげられるのは私だけだよ」という言葉。その子はそんなこと言ったことも覚えてないだろうけど。こんなに俺を理解している言葉はないと思ったんだ、あの日も雪の降る夜だった。今おれの目の前でも雪が降っている。俺の才能は悲しみに温度を感じられること。他人の悲しみに敏感でいられること。けっこう優しいんだけどな、俺って。

その子は俺と一文字違いの人と結婚して、俺と同じ苗字になった。この話を他人にすると「つらいね」って言われるんだけど、そういうつもりで話したわけじゃない。そういう話を笑いながら俺に言ってくれる、その人の愛らしさの話なんだ。おれの愚直さが、少しの温度を残せた話なんだ。

愚かにしか生きられない。本当に。いつだって、真面目で、正直にしか生きられなくて、「嘘ではない」が上手になっていくけれど、本質は何も変わっていない。俺はいつだって正直なだけなんだ。好きな人やものが、ただ大好きなだけ。おれにとって好きというのは魂が惹かれることと、何かを選ぶこと。生き方に正解があるかはわからないけれど、それは決めの問題だと思う。おれはそうやって生きていくしかないように仕上がってしまった。

助けてくれとはいつも思っている。祝福がおれにありますように。誰も祈ってくれずとも。生きていくということは、何を考え詰めても、孤独であるという結論に行き着く。

そして俺は、孤独を愛する練習をする。

 

人生肯定感

CDが廻る。ほどけて糸になっていく。昨日は友人と長電話していたが、話していて気付いた。おれは自己肯定感がないのではない、人生肯定感がないのだ。

自分のことはそれなりに好きだ。でもおれに良い未来は待っていないのだと思っている。それは自己ではなく、自分の人生に対してだ。それが根っこにあるから破滅願望のような気持ちがいつだって薄っすらと膜を張っている。おれはどうなってもいいんだと思う、自分が。

今年は良い一年になると思う。その気持ちだって間違いではないのに、どうしてこうも心臓が痛むのだろう。おれみたいなやつに、良い未来が待っていてほしい。

光に形はなく、青に呑まれるだけ

何にも期待したくないし、何にも絶望したくない。それって寄りかかってるってことだ。おれはおれとして生きていく。おれはおれとして生きている。最近自分のことを信じられていなかったかも。生きるのも死ぬのもおんなじだ。何に呑まれたって大丈夫。おれはもとより、溺れるように生きてきたのだから。幸運も不運も全部奇跡なんだから、この身体を動かすしかない。辿り着く先がどこだって、本当は構わなかったはずだろ、急流に飛び込む、そういう生き方を選んできたのは、いつだって俺の魂だったのだから。

 

死ぬ度胸がない限り、その時が来るまで人生は続いていく、嬉しかろうが悲しかろうが。俺たちは本当は何も所有していない。ただそれが、そこにあっただけ。ただその時、受け容れる器があっただけ。

泳ぐように生きる人に憧れる。翼もヒレもないおれは。おれは。

手のなるほうへ

毎日心臓が信じられないくらい痛い。おれはいま多分冷静じゃない間違いなく!橋本絵莉子のように強く美しい存在になりたくて、瞑想のような気持ちでチャットモンチーのコピーを黙々としている。もう5曲コピーした。バンドスコアぜんぜん当てにならねえ!ライブBlu-rayを観ながら完コピしている。手癖がわかるとその人の思考が入ってくるような感じがしていい。少しだけ、おれは何をやっているんだろうという気持ちにもなる。橋本絵莉子はギターの弦の押さえ方も丁寧だった。

1日が信じられないくらい長く感じる、黙っていると叫び出しそうになる。躁と鬱が同時にやってきているような心情が続いている。ひー。幸福と不幸って裏表なのかも。全部上手くいくような気もするし、全部がおしまいになる気もしている。

3月になってしまった。全てが動き出してしまう季節がくる。止められない何もかも。そうか、身を任せるしかないのだ、時の奔流に。何が待っていたとしても、おれにできることはひとつだ。良く生きようとすること。それだけ。愛を止めないこと。美しくあろうとすること。今年はきっと良い年になる。良い予感もたまには、当たってくれることを祈る。

魂しか勝たん

正直と素直さだけがか弱い武器だったし、デカい感情と魂だけを信じてやってきたんだけど、奇跡すぎることはあまりにも穏やかで、やはり運命ってあるんだなと思う。バスの揺れ方でも素直な言葉でも人生の意味ってわかっちゃうし、最初から全部わかっていたような気もしちゃう!これまでの全部があるから今があるなんて当たり前のことにも改めて感動してしまうくらい浮かれている。そうなってくると全部に感謝できてしまう、無敵!素敵!でも現実ってシビアだから人生って戦いだよな。祈りなんてしゃらくさい!でも祈る!か細い武器でもなんでも使って戦う。会話が好きだ。言葉が好きだ。言葉で伝えられることがあっても意味がないなんて思わないけれど、でもそれ以上に伝わるものを信じている。おれはおれの感覚で生きてきてよかった!魂しか勝たんよ、本当に。魂を形作るのは言葉や思想や信念や哲学や生き方だ。人間のことが大好き!その中で特別なあなたやあなたやあなた、そしてあなたのことはちゃんと明確に大好きだよ。嫌いな人なんていないなんて言っていたのが嘘みたい。ちゃんと嫌いだしちゃんと好き!選んでいく決めていく、それが生きるということだ。

でかい声と宝石

今日は大好きな人と遊んだ!簡単に1週間分くらい楽しくって、もう今月終わっちゃったなって思った。

存在として好きなのと一緒に居て心地いいのは違うなって最近よく思う。見た目考え方雰囲気その他諸々が好きであっても、共通の話題がなかったりすることも多くて、そういう人にわざわざ近付こうとしなくていいかと最近は思ったりする。だから好きだし一緒にいて心地も良い人って本当に奇跡。大切にしていたい。

優しさについて考えることなんてもう飽き飽きどころではないのだけれど、肉体や時間やその他全てがノイズになるのなら、優しさという概念になってしまいたいと思うことがある。それは机上。優しさって関わりの中で生まれるものだから、無為な哲学だし現実逃避だなと最近は思えるようになってきた。じゃあどうなんだっていうと、自然に優しくできる人と関わっていたいと思う。優しさってもう俺の手には負えない。自然にそうなっていくものかも。

おれはもう好きな自分だけでいたい。嫌いな自分を捨てていくことがここからの人生だと思う。

しかし愛おしい日だったな今日は!