またむね

身体が溶けてなくなっていく。玉ねぎの皮みたいに剥いで剥いで削ぎ落としていった先に何があるかなんて、そんなことに想いを馳せることもなくなって久しい。「本当」なんて、そんなとこにあるわけじゃないと今は思ってる。本当、永遠、さよなら。さよならだ〜。全員いつか死ぬから本当にさようなら。忘れないようにしなくちゃ、ひとはひとりだってこと。すぐ隠そうとする、ほんとのこと。この胸の内を知るのはおれだけだってこと、だから美しいし、だから切ない。それは素敵なことだ。大切なのは心だ。

爪の先、指の皮

おれは生きている、ただ何をもって生きていると言う?今までに食べたパンの枚数も、爪を噛みすぎて指の皮まで噛んだ数も覚えていない。幸せだと思った回数も死にたいと心から思った回数も。今年の夏は海を見にいけなかったことが悔しい。ネモフィラ花言葉をおれは知らない。忍冬の花言葉を忘れた。唯一知っている花を人に贈ったときの気持ちは愛だったのだろうか。取りこぼしていく言葉も、気持ちも、時間も、すべて祈りという耳触りのいい煙になっていく。愛は祈りだ、僕は祈る。非常に有名なあの一節だが、祈りは呪いでもあるし、そうするとなるほど、愛は呪いだし祈りでもあるのかもしれない。そうやって言葉の意味は僕の中で形作られていく。自由だ。どんな醜い言葉も美しくなる余地がある。伝えたい言葉があっても伝える相手が浮かばない。伝えたい相手に伝えるべき言葉が浮かばない。タイミングという言葉が頭をよぎる。今はそういう時期なんだと思う。自分が自分に投げかけるべき言葉を探している。ひとりになる。海へ潜る。空を飛ぶ。エラがなくても、翼がなくても。皮膚と心がある。それはとても幸福なことだ。心のない人でなかったこと、それはとても、とても幸福なこと。宵闇にて言葉を綴る。おれはおれの言葉を綴る。

夢魔

うつしよが淀む、ここも生臭くなってきた。詩と詞と私と死と思と。見えないものを見ようとして海に行きたくなった。疲れた身体と疲れた前頭葉。人の人らしさが胃に重い。いつも失くして気付くのは自分が自分じゃないとわからなくなってしまうから。何も背負えないからずっとひとりがいい。目を瞑ると無の音が迫ってくる。

順々に逆

おれはもっと深く分かり合えそうな人と浅いところでバチバチやりあって分断されるのが本当に悲しい、2時間くらい電話で話し合った結果殺害予告されたけどあれはあれでよかったと思っている。おれは話しすらできないのがいちばん悲しいので。みんな上品ぶって晒さない、吐き出したいことがあるならちゃんと整えて伝える形にして吐き出せばいいのに。耳と頭と心があれば案外聞いてくれるし、おれは聞く耳しかない。あなたが何に怒りをおぼえるのか知りたい。おれにだって不快に思うことはある。別に理解しようとは思わないしできるとも思わないけど、そういう人なんだって知りたくはある。可愛さとか優しさとかそんな言葉はいい。ほどほどとかも知らない。そういう熱量で話ができた人をおれはいつも裏切ってきたから、つまんなく死ぬと思う。つまんなく死ぬと思うから、諦めて美しさを追うよ。それは逆のようで順当、ずっと変わらないよ。感情に従って生きるのが人間の正しい在り方だ。それを大事にするために、人には理性がある、文化がある。言葉があるし、言葉があるから、言葉で伝えられないものに意味がある。大事なものを知っている。

人には人の乳酸菌

全部消えて無くなると思ってから生きるのが少し怖くなくなった、ずっと永遠を欲していたが20数年の時を経てやっと諦めに至った気がする。これだけ積み上げてきた私の私は多分100年もせずに消えてなくなる。私だけが信じてきた永遠なんてちっぽけな器の中でいつしか煙泡になる。だから駄作でもいい。おれにしか歌えないありふれた歌を歌う。

 

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Kabanaguの歌を聴いて胸を震わす。彼は生きている、その尊さをおれは忘れない。あの日からハヌマーンばかり聴いている、幸福のしっぽのギターは難しいが毎日練習していたら少し弾けるようになった。自分で歌ってみると歌詞が身体に染みる。おれは理解のために他人の歌を歌う。そうしないとわからないことは沢山ある。おれは馬鹿も愚鈍も尊敬する。おれにできない者やおれに成れない者を尊敬する。おれは謙虚。だが自尊心も非常に大切だとも思う。君になりたいけどなりたいなんて思わない。

 

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カネコアヤノの詩集を買った。思ったより小さくて、枕元に置いてボロボロになるまで読みたいような本だった。ベースの本村さんが新譜について「いつも誇りに思えるような作品に参加させてくれて、ありがとうございます。」と言っていたのが印象的だった。飾らないけど飾られる輝く言葉だと思った。誇りに思えたことなんていくつあるかな。おれはおれに恥ずかしいことばかり思い出す。数少ないけどあるけどね。ハードルは上がるばかりだけどこれからも作っていく気概はある、というかそうでないなら今すぐ死んだほうがいい。これは間違いなく。宇宙で死ぬためにロケットに乗るためのお金を死ぬ気で稼いだりしたほうがいい。

 

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「なんで生きているのかわからなく」なったことなんてない。おれはいつだって自分が良くなるための選択をし続けてきた。だから上手くいかないのはいつだって自分の問題。これは自責とかでなく本当に。おれは結構おれの才能とか、本当にやるべきこととか知っている。自分で選んだ仕事が泥のようになること。でも前向きに暮らしてる。お金が沢山もらえる。今は大変でも数年後に色々と生きやすくなるはず。そしておれはおれであることを諦めないし忘れない。今は今しかできない暮らしをしようと思っている。だからそう、頑張ればいいだけなんだ。美しさを少しづつ思い出す。

 

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いつだってはしっこ

解散してしまったハヌマーンの刹那さと、THE NOVEMBERSが今も生きていることを想う。今夜はぬるくて札幌の夏みたいだ。良く善く生きている人の噂を聞くと焦るが、焦る必要なんてないのだと思いなす。おれが焦る対象はおれに対してだけだ。おれはおれでなくなりそうな時にだけ焦るべきだ。五感を使うことが楽しい。おれはおれの才能を使い切るために生きている。恥ずかしくって言葉に出さないできたけど、言葉に出していく。だってそうするしかないのだから。おれしか知らない夏を歌にする。おれしか知らない君の美しさを謳歌する。それは運命や魂が繋がっているということだ。ぼくたちは社会の中で生きている。それだけでは美味しくないから、目を閉じて魂のうねりを視る。繋がっている。10年前と今日も繋がっている。そして明日を生きていく。まだ見ぬ出会いと再会と別れに右脳からのメーデーを送る。大事なのは細胞分裂の果てのイメージ。顔や形、声や質感は遺伝子だけでなく、意思によって形作られてきたのだから。グッデイ、マイフューチャー。

透明になる瞬間

カネコアヤノの『美しさも知らないヤツ』というフレーズがずっと胸に刺さって離れない。おれは確かにそれを知っていた、はず。「君には君の美しさがある」と言われた時、おれはすぐに頷けなかった。わからなかったから。ところで透明になる瞬間、とあの人はそう言っていた。透明になる瞬間。きっとそれはわかる。知らない街をひとりで歩いている時のあの感じ。部屋の窓から風が吹き込んできて、なんとなく歌が生まれる時のあの感じ。そういえば今日は良いメロディが浮かんだ。初めて知らないコードを使って曲を作った。知っていることしか怖くて触れない方なんだけど、ギターってこんなに自由なんだっけってなんとなく思った。あと昔作った曲を8カポで歌った。美しさよくわからんけど、やっぱり曲を作っている時の自分と歌っている時の自分は美しいかもしれないと思った。埋火とthai kick murphを聴きながら部屋を掃除している。こんなに良いバンドが全然知られていないの悲しい。Qomolangma Tomatoのライブがまた観られることはこの先あるんだろうか。このあいだTHE NOVEMBERSのガムシロップを初めて生で聴いた。一生そんなことないと思っていたのに。何年か前に川本真琴のやきそばパンを生で聴いた時も思ったな、あの時もTHE NOVEMBERSが対バンだったな。一生そんなことないと思ってたことが意外にある。もしかしたら、どこかに永遠とかもあったりするんだろうか?愛もコンビニで売ってるらしいし。言葉で伝えられることがあっても意味はないでしょう?だから言葉を使っているんだ。花は弱く無意味だから美しいのだ。あなたの美しさを、あなたが美しいということを思い出さなくても知っていたい。