爪の先、指の皮

おれは生きている、ただ何をもって生きていると言う?今までに食べたパンの枚数も、爪を噛みすぎて指の皮まで噛んだ数も覚えていない。幸せだと思った回数も死にたいと心から思った回数も。今年の夏は海を見にいけなかったことが悔しい。ネモフィラ花言葉をおれは知らない。忍冬の花言葉を忘れた。唯一知っている花を人に贈ったときの気持ちは愛だったのだろうか。取りこぼしていく言葉も、気持ちも、時間も、すべて祈りという耳触りのいい煙になっていく。愛は祈りだ、僕は祈る。非常に有名なあの一節だが、祈りは呪いでもあるし、そうするとなるほど、愛は呪いだし祈りでもあるのかもしれない。そうやって言葉の意味は僕の中で形作られていく。自由だ。どんな醜い言葉も美しくなる余地がある。伝えたい言葉があっても伝える相手が浮かばない。伝えたい相手に伝えるべき言葉が浮かばない。タイミングという言葉が頭をよぎる。今はそういう時期なんだと思う。自分が自分に投げかけるべき言葉を探している。ひとりになる。海へ潜る。空を飛ぶ。エラがなくても、翼がなくても。皮膚と心がある。それはとても幸福なことだ。心のない人でなかったこと、それはとても、とても幸福なこと。宵闇にて言葉を綴る。おれはおれの言葉を綴る。