じぶんごと

自分のことが好きな割に根本的に自分を認めてあげられないから他人の嬉しいことでしか喜べないところがある。たとえば誕生日だとか、何かに合格しただとか、自分のめでたい事にあまり興味が持てない。友達など好きな人達に良いことが起こると嬉しい、けれどやっぱり他人の事柄ではあるので、自分の感情ではあるのだがどこか他人事のような空々しさも感じてしまうことがあり、少量ながら確固たる虚無がそこにはある。自分事がない。

人はいつも宗教を求めている。他人に対する純粋な愛に尊さを思えられるほど無邪気ではいられなくなってしまった。盲信や妄信は独りよがりで暴力的でもある。あなたの美しさはあなたの美しさでしかないし、わたしに何ができるでもないのだ。わたしは世界ではないので、それで満たされることもない。

夜を抜けて通り抜ける透明なトンネルがない。宝物を拾い集めても子供のオモチャ箱のようだ。美しいと感じられるものが年々減っていく、美しいと感じられるものを探し続けるチキンレースで、追い付かれそうになっている。

それでも嬉しかったこと書く。

さいきん魂を褒められた。実の弟以外で、唯一わたしのことを兄と呼ぶ冗談みたいな子なのだが、そういうフレージングで話す人に久しぶりに会えて嬉しかった。それと、そういう話し方をする子ではなかったのに、そういう言葉選びをするようになったのだということが嬉しかった。新芽のようにスクスクと伸びていく感性に改めて脱帽した。本当に天才的な生き物だよ、あなたは。

最近チャットモンチーのことを沢山話せる友達ができて嬉しい。深夜までカラオケでチャットモンチーの話をしていた。伝説だとか、最高だとか、どんな一般的な言葉で表してもしっくりこないバンドについて、個人的な気持ちで話し合って通じ合えるのはとても希少だ。話せば話すほど、チャットモンチーは本当に存在していたのだ、ということが確固としていくような気持ちになる。

気付いたらまたこんな時間だ。