こころとからだ

誰かを使うということ、誰かに使われるということ。こころとからだがひとつとひとつって当たり前に思っていたけれど、ぼくらは物を物として捉えるから忘れがちだけど、別に与えるとか与えられないとか、分けるとか分け合わないとか、そういうことでもなくここにただ居るだけ。言葉を使って人と触れ合うが、言葉に言葉という使い方をおれは求めていないのかもしれないと思った。本当は記号でもいいし文脈なんかなくてもよくて、その言葉を選ぶまでの過程や、言葉の在り方をどう捉えているかを感じたいだけで、自分は言葉に執着しがちな方だと思っていたけれど、本当はあまり言葉が好きではないのかも。あと対話って言葉をどんな風に握ってどんな風に投げるのかの方がけっこう人柄が出るよな、ゴムボールみたいに扱うのか金平糖みたいに扱うのか、投げるペースとか速さとか。最近しばらく話していなかった人や、あまり話したことのない人とたくさん話していて楽しい。色んな人がいる、っていう至極当たり前のことを思い出す。なんかこう、人生っていつも思い出すことの連続。本当はどこかで知っていて忘れていたことを思い出すことの連続。こういうことを考えるとき、どうしようもなく孤独だということを思い出す。忘れないと出来ないこともある。怖くて震えて動けなくなってしまう。何もかも全て忘れたくないと思っていた頃の自分のコスパの悪さよ。人のように生きるために機械になりたい。人にやさしくいたいし、正解ばかりしていたい。外はもう、いつのまにか雨は止んでいた。