愚滅のひかり

人が光のはずないのに、人を光だと思ったことが何回かある。光のような人に恋をしてきた。冷たい星、陽だまりのような優しさ、絹を透かす陽射し。中途半端な社会性を手にして、愚図の歩みが愚鈍になる。弾ける花火も忘れる。鮮烈な日々の澱みを忘れて美化されたものを青春と呼ぶのだろう。だとしたらやっぱり青春という言葉は傲慢で嫌いだと思う。

愚かさはいつだって人を傷付けるし、そんなものを自慢にしてはいけない。

けれど、みんな愚かさを忘れていく。それが寂しい。

かつて、この自省こそが俺らしさだと言われたことがある。おれの愚かさを愛せるのは自分だけだと言われたことがある。みんな忘れていくのに、平成最後の夏をおれだけがおぼえている。

痛みだけが実存に繋がると信じてやまなかった日々、どうしようもなさを片手に、おれは陽射しの下でビールを飲みたい。かなしみを確かに感じる時、かなしみという言葉だけでは、とうてい足りないのだ。