死を想う

『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』をプレイしていた。「哀しみは究極の愛の形よ」というセリフがとても印象的だった。喪った時に深く哀しむことが愛のしるしらしい。そう、人の死は避けられない、それが突発的であろうと穏やかであろうと、最後は決まっている。愛は生きている間に思い知るものだから、失った時の大きさで知ることは邪道のように感じていたが、なんか思いがけないところで後ろめたさを救われたような気持ちになった。

おれにとって誰かを愛おしいと思う時(これは恋愛的な意味でも友愛的な意味でも)、いつも失うことを想う。何かが始まる時は終わることも同時に想起される。始まりと終わりはいつだってセットだし、永遠はない。永遠はいつだって何処かにしるしを置いて砂上に作り上げることしか出来ない、だって人は死ぬし。だからおれは永遠って生きてる間に存在するものだと思ってる、誓い、などに近いものだ。

でも愛って報われるとか報われないとか関係ないものだから、そこに終わりはないというか、終わる時って先に死が来るのかなって思う。その時、弾けた火花って深い哀しみだから、愛しているから哀しいって当たり前なんだけど、自分はずっとそこに後ろめたさを感じていたんだなということに気付かされた。

友達が死んだらめちゃくちゃ哀しむし、おれが死んでもめちゃくちゃ哀しまれたいなって思った。