問いの松明、恋の最悪

なんていうか人生どうなってくのかなって考えてまず最初に簡単に間違いなく辿り着く絶対の終わりって死じゃないですか。その過程とかいつ死ぬのかとかってのは置いておいて、とにかくどんな人も最後は死なんですよ。じゃあ生きるって何?って考えると死を目指して過ぎていくだけの身体なわけで、それを早めるとか遅めるとかってことを主軸に考えることって僕にとってかなり意味のないことなんですよ。この道筋が精神に馴染むのに数十年かかった。だって死ぬの怖いし痛いのも怖いし恥ずかしいのも怖いし疲れるのも辛いのも怖いし。でも話は最初に戻るけど結局最後はおんなじ死なんですよ。じゃあ生きることのどこに価値が生まれるのかっていうと何を選んでいくかってことだし、選べば選ぶほどそこに自分の意志が刻まれて存在の強度が上がっていくわけですね。だから存在の強度を高めたい人はとにかく何かを選べばいいと思います。新しい鍋とか、ボールペンの種類とか。僕は優柔不断なので何かを選ぶのが苦手で、それが僕の人生におけるデカい損だったということをかなり自覚しているわけです僕は。だから下手でもずっと選んでいく。無理でもずっと選んでいく。それが僕にとって生きるということです。ところで最近、恋愛って最悪だと思っているんですけどあれって存在の意味を他人に選ばせる属性を孕んだ概念だと思うんですね基本的には。恋するなら恋するぞって覚悟でしなきゃダメっすよ、それがないと選択にならないので。なんか明確な意思を持たなくともしといた方がいいしなんか綺麗であったかいしする方がカースト上がるみたいな風潮があるから囚われまくっちゃう人かなり見ててマジかわいそうって思う〜。ちなみに僕も狂い体験アリです。めっちゃわかる〜。簡単にデカい痛みとかもらえるから生きてるって感じするけど普通に最悪だって。でもスムーズに流れてくのも最悪。やっぱり選択っしょ選択。いっこいっこ全部選択、お前の何を愛するかも選択、俺の何を愛するかも選択。世界を愛するかどうかも選択。ところでお風呂を魂の洗濯だって最初に言った人、仰々しいね。詩的かどうかはようわからんけどダイナミックでいいと思う。お湯、浴びな〜。