小雨が燦々と降る夜はエモい

詩、もしくは思想の日記

蒼い蜘蛛、透明だった瞬間にわたしは

映画を観た、わたしが昔つくった曲を主題歌に使ってくれた映画を観た。前に監督の子のブログを偶然見つけたとき、ダメ元で連絡をくれたと書いてあった。ダメ元どころか、断る理由なんてわたしには無いんだけど、とても嬉しかった。わたしは、特にこの曲については、わたしだけのために書いている。わたしのために書いた曲が誰かの心に刺さって、そうして新しい作品が生まれたということ、こんなに嬉しいことなんてない。こんな感覚を世の中の何人が感じて死ねるんだろう。映画は綺麗だったんだけど、熱量で映像の端がザワついてるように見えた。生きるを詰め込んでいる感じがして、だらしないわたしの身体と心と暮らしが恥ずかしくなるくらい。素敵な人の残滓を分けてもらったり、希望の轍を踏んで生きているといつも思ってしまう。でもすぐ死にたくなる生き物が前を向いて生きていけるのはいつだって誰かのおかげだ。それは直接的でなくなったって、誰かが作ったものを観たり聴いたり食べたりしながら生きていく。わたしはわたしが貰っているものについては自覚できるけれど、わたしが誰かにあげられているかもしれないものは目に見えないし感じられないから、自己肯定感が低くて困るなぁ。誰かを傷つけたときはすぐわかるのに、なんなんだろう。何かを残したと思えるのは形になった時だけだから、そうだな、今日は曲作りを進めよう。