うたのけもの

人でいながらにして人であることを忘れなくてはならない、けもの、獣でなくけもの、感性が風を切って余計なものを削ぎ落とし剥き出しになることを透明と呼ぶ。さいきんはカネコアヤノちゃんばかり聴いている、折坂悠太さんがカネコアヤノちゃんのことを「うたのけもの」と呼んでいた。うたのけもの。うたをうたうには、けものになることだ。「退屈な日々にさようならを」という映画のライブイベントに行ったんだ。2/24。マヒトゥ・ザ・ピーポーさん、chelmicoさん、カネコアヤノちゃん。カネコアヤノちゃんを「うたのけもの」と呼んだ折坂悠太さん。そう呼べる彼もまた透明な感性を持っている。出演者全員のライブが素晴らしかった。そんなイベントなんてそうそう無い。

「きみをしりたい」という曲がすき。きみはしらない、それでもいい、からだはふたつ。しりたいきもちはどこまでも残酷なものね。

だれかとひとつになれないことを自覚していきること。それは悲しみではないから、切なさを抱えて、いいえ、切なさを備えていきていく。涙がこぼれそうでこぼれない、そういう温度の音楽。またひとつうつくしいものを知った。

 

自分のおなかに手をあててみる。グルギュル、って、うごく。呼吸をするたびに胸の中がひろがる。温度がある。いきている。いきている。じぶんがいきていることを最近よく思い出す。もうすぐしんじゃうのかな、だったらやだな、愛おしいものが沢山あるのに、これからもきっと。時が流れるだけでセンチメンタルだから、いきているだけでずっとセンチメンタルだ。身体も愛もいくつも在りたい。