小雨が燦々と降る夜はエモい

詩、もしくは思想

もうこれ以上生きれない

夜をシーツでくるんで、なんてありきたりなフレーズが目に残っている。夜の中で夜を捉えることも、その中に立つ自身の肉体に意思を向けることも久しくおこなっていない。もう手遅れ感があるから、死んでもいいのかもしれない。前向きに生きている身体と相反して、心はずっとあさっての方向を向いている。来週のこと、来月のこと、来年のこと、10年後のこと。そんなのわからないと嘯きながら、本当はよく考えていなかったのかもしれない。誰の邪魔もしたくない。誰の美しさにもシミを残したくない。助かっているフリをするのも嫌になってきた。いつもありがとうって思っている。それはなんでかというと、ありがとうと思わないとならないからだ。誠実さが手に負えない。感情の形を掴めない。ライフイズパーティという曲が好きだ、だってそんな言葉ずるい。捉えないでよ。言葉にしないでよ。他人の言葉に救われたりなんかしたくなかった。自分のもの以外に救われるのはいやらしい。消費しかできない。大事にするってなんだ?Brokenという曲が好き、とても素直だから。おれは知人が自殺未遂とかするの嫌なんだ、お前なんかよりおれの方がお前の美しさを知ってる。馬鹿にしやがって、と思う。死んだ方がいいのはいつだって俺の方だったのに。