小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

あいのう、さいのう、ないのう

愛とは?みたいなことについてはおそらく10年とちょっとくらい考えているんだけどおれには引き出しがない、昨日ネットで「愛は<相手が自分に愛されても不快に思わないだろう・愛してもいいと思える>という前提の元におこなえる行為だから、まず自分を肯定できない人には他人を正しく愛することができません」的な旨の文を見かけて、そんなの当たり前じゃん、と思った。愛の才能。愛について思いを巡らす時、ややこしい数学の問題や、プログラムコードを読む時のような突っかかりとスムーズという概念への隔たりを感じる。無いんだろうなぁ、才能。誰かを褒める時は出来るだけ躊躇しないように普段からいつも心掛けているんだけど、逆にいうとおれにできる愛情表現ってそれだけなんだよな、引き出しがないってそういうこと。自分を肯定できていないからそこから先へ進めないんだろうなと思う。肯定とはおれにとってそれ以上ないくらい最上のものだ、自分が持ってないものを誰かに与えるということだから。その先へ進もうと欲を出せば、前後左右もわからない奔流に飲まれる。だから愛の在り方みたいなことについて考えられる人はすごいなぁって思う。それより先のことだもんな。愛とは?の先。在るということがまずあって、それをどう扱っていくかという話。そういう人でも悩んだりするんだろうけど、それでも多分ぼくには見えてないものが見えてるんだろうなとは思う。でもまあ絶対に諦めないんだけど、プログラムが読めなくても転職できるけど、愛に転職はないし。10年どころか20年かけて、思い出すのも忌々しいくらいの失敗を沢山して、考えて、少しづつマシになってきたとは思うから。感情と理性は相反するものだとずっと思ってきたんだけど、理性はブレーキじゃなくてハンドルみたいなものだって知ってから、理性というものに気を払い始めた。それがここ2年くらいの話。マシになるまであと8年くらいかなあ。8年後は34才か。恐ろしいことだらけだけど、それでも未来はきっとよくなっていると、迷いながらも口に出せるようになってきたから、よくなっていなくても、自分が本当に掴みたかった光を何かひとつくらい、掴んでいたらいいなあと思う。そう思えるようになったのも1人での話じゃないから、出会って何かをくれた人にはいつも泣きそうになるくらい感謝してる。