小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

バーモント

昼間に飲んだ缶ビールで少しフワッとした身体で夜の街を歩く、静かな空気に包まれて、当たり前のように自分は一人だったと思い出す。思い出すということは忘れていたということで、自分は自分を忘れるよう仕向けるクセがある。本当に素敵な人にばかり恵まれて、毎日誰かかんかと居たり、誰かかんかのことを考えたり、誰かかんかと話したりしていると、誰かのことで自分の輪郭が曖昧になっていって、それは楽しいことだけど気持ちの悪いことでもあって、ああ、随分マシになったと思ったけれど、自分は自分のことを傷付けたいだとか、消したいだとか、そういう気持ちがあるんだと気付く。「そんなことに使われるなんて誰かもいい迷惑だよな」なんて自己嫌悪に陥ったこともあったけど、少なくともその時はその誰かのことをちゃんと大事にしているし、一緒に楽しめていると思うから、そのうちやめた。やめたやめた、どんどんやめていく。毎日弾いていたギターも毎日は弾かなくなった。目に見えないことに想いを馳せる時間も減った。といってもギターは触るし、減った時間は無くなったわけではない。でも、やめた。やめたようなものだ。生活の一部、身体の一部、魂の一部。そういうところからは抜け落ちた感覚がある。生きれば生きるほど自分は自分になっていく、それと「ありのままの自分」というもののつまらなさ。その狭間に生きている。「しないではいられないことをし続けなさい」と水木しげる御大は言ったらしいが、そんなものはない。そんなものがない人は、ただ呼吸だけをして生を消費していけというのだろうか。そんなことを御大は言っていないとは思うけれど、おれは生きている。生きているから、やはり「しないではいられないこと」でなく「した方がいいと思うこと」をやらねばと思うよ。未来は不安だが、やるしかない。まだ生を許されているのだから。