どうせいつか

大切にしたりされたりすることがそんなに大切だなんて思えない、どうせいつか死ぬので。刺して毟るような烈しさが昔から俺をかたどる。テンポがズレて世界に置いていかれたり、世界を置いていったり、どちらにせよいつだって一人で生きている。過去が俺を作るが何の意味もない。他人だし他人事じゃんね。いつでも捨てられるものしか意味がないし、絶対に消えないものが欲しい。ハイブリッド絶望希望、失くしたものと手にしたものに本当は違いなんてない、どうせいつか死ぬので。そうしたら安心して誰かを大事にしたりもできる、どうせいつか死ぬので。

超夏!!!

超夏やんけ

 

いま池袋駅から歩いて帰っているところ。この道にも色々と思い出ができた、故郷じゃなくてもどこにだって思い出が生まれるけど、それはだいたいひとりのことじゃなくて、好きな人とか友達のこととか、誰かのことなのでいつも感謝している。毎日死にたくないな〜って思う、そう思ってるってことは死を意識してるってことだから健全ではないかも知れない。時間が足りないな〜、会いたい人とか、してみたいこととか、まだまだ沢山ある。でもコマを埋めるように、イベントをこなすようにするのも良くないと思う。この遊び、いっこクリア!みたいな。いつも根本的に今を楽しむという感覚が抜け落ちている、今あるものを大事にするとか。そうやって傷つけた人も沢山いると思う。やりたいことしかしたくないはずなのにな、へんなの。でもなりたい自分になるために、やりたくないこともやらないとどうにもならなかったから、今まで。ぼくらしさとか自分らしさとかわかんないけど、本当の自分なんてえっちなビデオとか見てずっと寝てたいだけだし、そんなものは要らないんだ実際。誰かが好きと言ってくれたところを思い出して、そういうものなんだなって思っている方がずっとずっと大事さ。夏の匂いがする。夏には匂いなんてないのかも知れないけど、確かに感じる。そういうことを感じられる自分は好きだ。人の良さ、わからない人にはわからないみたいだけど、わかるとこも好きだ。あなたの好きなとこも、どういうところか訊いてくれたら教えるよ。バイぜ!

軽率に海にきてしまった

海に来たのでブログを書く。海に来たのにお酒を飲みながらSNSを覗いてばかりいるのもどうしようもない感じなのでブログを書く。それもどうなんだという感じだが、SNSより良いです。なぜならブログは残るからです。いま目の前に海があります。海風がスーツに絡みついてジンワリ湿っています。10mほど左に同じく座っている人影が見えます。よく見たら三脚みたいなものがあるので、もしかしたら海の映像を撮っているのかも知れません。風が冷たいです。ビールの味はよくわかりません。バイクの音と風の音と波の音が混ざり合って聴覚に心地よいです。遠くで光が見えます。お城のような建物も見えます。見上げると星が見えます。遠くで灯台がチカチカしました。それだけなんですけど落ち着きます。海に一緒に来た人を思い出します。もう二度とないと思います。また灯台の光が消えました。目を閉じます。肌の上を風が撫でて自分の輪郭を知ります。きっとこれからも楽しいことがあります。海を見たことのない人の気持ちを想いました。隣の人が帰り支度をしている。毎年海にきている。来年も再来年もくるのだろうか。海に向かって叫ぶ青年の声を聞いた。おれはツイッターのいいね数を稼いでしまった。海の見える街に住む人はどんな気持ちで暮らしているのだろう。遠くで飛行機が飛んでいる。目を瞑っても消えない光を探している。多分長く書きすぎてしまったけど、これも残しておこう。

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たにんのこと

爪を噛む癖が行き過ぎて指の皮をベリベリに裂いてしまう、痛い、かなしい。きみのことを独り占めしたいと自由でいてほしいが同時にあるのだ。吐き気のする肉体と時間性に苛まれて頭痛が痛い、ワイのワイルドワイバーン。左手を叩きつけて関節をひゃっこにしたい。好きな恐竜はアロサウルス。指の数がT-REXとは違うんだ。フタバスズキリュウを発見した日本人の名前がスズキでよかったと思う。フタバスズキリュウは語呂がいい。

感性のリハビリ

自分らしく生きるのは美しいと誰かが言った、ぼくは自分らしさを全部壊したいのだと思った。その愚かさが君の君らしさだと言われたことがある。この身体の放つ全てのものが自分のものでないような気色悪さが著しく、それを無視して健康ヅラして生きている。ニコニコしながら悲しみは使い古し。あなたの美しさの先に居られなくなった自分の身体は生ゴミのようだが生ゴミではないので自分らしさを破壊しながら生きるをし続けてる。ほんとはもう死んでるのかもしれない。余生って感じもしないから、記憶がないうちに何回か繰り返してるのかも。生きて死んで生きて死んで生きて死んで生きて死んで。不死にも限界があるのは少年マンガのお約束だけど、めんどくさいから飛び降りちゃおっかなって思う。じゃあその前に部屋くらい綺麗に掃除しておこうって思ってまた生活が始まる。身に軋む淀みにもキレがない。つまんない言葉たちだな。五感を拡張して、風の匂いを知ったり空気の味を確かめたり排気ガスを吸ったり、太陽を見たら目が潰れた。あと指の皮を噛みすぎて普通に痛い。こんなことでも自分の中から出てきた言葉だから、残すだけ残しておく。