小雨が燦々と降る夜はエモい

思うままに綴る詩のような日記

ライフイズパーティ

ブログ書かなきゃなー、と思うんだけどなんかずっと気が乗らない。なんでかなーと思うんだけど自分の内の事柄について思索を馳せる事が怖かったのだといま気付いた。自分の内側の世界では線引きがないので、どうしても思い通りにならないことや納得できないこと、うまくいかなかったことについて、満ちゆくまで考え尽くせてしまう。それは多かれ少なかれ痛みが伴うことだ。痛いのがもうすっかり怖くなってしまった。現実やコンテンツ等、外側を追っていれば痛みもなく快楽だけを享受できる。最近ゲームばかりしていた。だけど何かが流れて失せていくことも怖いから、いまこうやって久しぶりに、拙くともフリックを滑らせている。

 

さいきん思想や哲学の知識に富んだ友達が出来て、色々な言葉を教えてもらう。その子自身、プロテスタントでもあるので、カミサマって居ると思うか訊いてみた。聖書には「我らは神の中で生き、動き、存在している」という言葉があるらしい。調べてみると、十七章二十八節。神という偉大な存在が居るというよりは、大きな流れのようなものが在るというのには共感する。運命、という概念もこれに近しいものだと思う。

メルヴィルの『バートルビー』という作品を教えてもらった。「せずにすめばありがたいのですが」と言い続け、出来ることを何もせずに死んでいく青年の物語らしい。「だからやりたいことはやったらいいよ」と言ってくれた。今年ももうすぐ終わる。楽しいことばかりじゃない一年だったけれど、思い出すと宝石のような思い出も幾ばくかあって、そういうものをくれてありがとうと思う。

 

ところで昨日は誕生日パーティを開いてもらった。誕生日パーティなんていつぶりだろう。小学生?中学生?今年の誕生日は特別面白いようなことがなかったから嬉しかった。五感ごと記録したいと思ったけど無理だから、せめて文字だけでもと思い、ブログに記す。特別は手作りだって教えてくれていつもありがとう。

 

 

さいきん感謝の人みたいになってて嫌ですね、自尊心が低くなってるのかも