ジュブナイル

届かないもの、手にあるもの、持ちもののことを想う。ゆるやかな時間が何かを殺すと信じていた。さよならの匂いに慣れすぎて、いつもそこにあることに気付かない。あー、アー、メーデーメーデー。きこえますか。なにもなかったこと、きこえますか。まぶたを閉じても光が透けることに驚いていたことを思い出した。みぎがひだりだと思い込んでいた。人生で最初の記憶はプールの水の中で生まれた。きもちよさと違和感がぼくを形作った。うつくしさの意味を知らなかった。知らなつづけている。渋谷がほんとにあると知った日、初めて音楽を聴いて泣いた。右目をあげられたならよかった。やさしくしてあげられたならよかった。忘れたいことあるけど。

入れ替わり時

地元・札幌に帰省していた。会いたい人にはたいてい会えたのでよかった。ほんとに好きな人が一握りでも居て、涙が零れそうになる。好きな人には好きと伝えている方だと思うのだけれど伝わっているだろうか。いや、言葉は伝わっているかも知れないけれど。伝えたいものの色や形はその人それぞれに対してあるのに、概ね「好き」という1つの言葉に依ってしまう。こんな風に暮らしていてほしいとか、こんな気持ちで居られていてほしいとか、こんなことが待っていてほしいとか、色んな気持ちがあるのに。

夜、3時くらいに「海に行きたい」とつぶやいた。「行こう」と言われた。疲れていたし、「やめよう」と言ったんだけど、「日和ったね」と冗談ぽく言われた。

「ぼくらが20代前半だったら、迷わず行ってただろうね」という話になり、「やっぱり行こうよ」と彼女が言うので、ぼくも時間の流れに抗いたいような気持ちになって、結局行くことにした。

くるりを聴きながら、チャットモンチーを聴きながら海を目指して、THE NOVEMBERSを聴きながら海を眺めて、SUPERCARスガシカオを聴きながら帰った。話すことなんて感傷事ばかりだったが、何の意味も無くたって、何の役にも立たなくたって、それでよかった。特別美味しいと感じたことのない、帰りに食べた山岡家のラーメンは今まででいちばん美味しかった。夜と朝との入れ替わり時に飲んだ缶コーヒーは、世界でいちばん美味しかった。明けてゆく空を見ながら聴いた夜空ノムコウは今まででいちばん良かった。あれからぼく達は何かを信じてこれたかな。悲しみっていつかは消えてしまうものなのかな。夜空の向こうに、本当にもう明日が待っていて、その先の未来を想った。

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混じり気のないもの

以前「愛について考え続けることは愛そのものに限りなく近い」という考え方を見かけた。そうなんだろうか。その方は「なんだかすごく助けられたような気になったのと同時に、やはり愛を確実に理解することは一生無いのだろうなと思った」と言っていた。これは直感だけど愛とやさしさは属性が近いところにあると思う。それと、うつくしさも。やさしさについて考え続けている。ぼくはうつくしさを知らない。カネコアヤノの「うつくしさも知らないやつ」という詞が少し刺さる。考えれば考えるほど境界線は曖昧になっていき、何にも怒ったり悲しんだりできないなと思う。何かを言い切ることが苦手だ。だから誰かのことを祝福できることはとてもありがたい。混じり気のない気持ちで居られることなんてそうそうない。透明にしてくれてありがとう。「そのままの君で居てね」と言ったら「ふざけるな」と言われたことを思い出した。このあいだ生まれて初めてお花を買った。すぐ枯れてしまうし、小さい頃には何の意味もないと思っていたけれど、ただうつくしいということが、ただうつくしいということを飾ったり誰かに贈ったりできるということが、尊いのだと気付いた。混じり気のないもの。うつくしさの意味をまたひとつ知った。

さいきんTHE NOVEMBERSを聴きっぱなしている、他に話せることが無いくらい。『Before Today』に付属のライナーノーツを読んだけどとても良かった、特にギターのケンゴマツモトの。各アルバムへの言及全てに「快進撃」という言葉が入っていた。随所随所にボーカルの小林祐介の才能への尊敬が記されているところも良かった。"「自分たちの運命を良くするんだ。」おっさん四人が心に誓い作った。"という一文にグッときた。自分たちの運命を良くする。運命ってもう決まってるものなのに、良くするんだっていうの、なんとなくストン、と腑に落ちた。意思と意志を感じる文だった。他のメンバーの文体それぞれからも、自らのバンドへのリスペクトみたいな精神が滲み出ていて、理想的なバンドだと思った。音楽は音楽なんだけど、これを読んでからだとまた聴こえ方が変わってきそう。音以外の情報によって音楽の聴こえ方が違ってくるのは純粋じゃないような後ろめたさに似た気持ちも起こるけれど、悪くないとも思う。人を聴くのだ。それも音楽の面白さというか、ぼくは結局モノでなく人に興味があるのだという、20代前半の頃に繰り返し言っていたことを改めて思った。東京に来てから、それとも働き始めてから、トシをとったから、何がきっかけかはわからないけれど、少し怖くなってしまった、人が。強く、堅く、頑なに信じてきたものが崩れていく。当たり前だ。何も知らない頃に思い込んでいたものばかりなのだから。それは混ざり合い純粋を失っていくということなのか、清濁を併せ持ち深化するということなのか、どちらにせよ恐ろしい。手の届かない速さの濁流に乗って、手の届かないところへ自分が流れていってしまうのが恐ろしい。今日は東京へ来て知り合った大好きな人の誕生日だった。東京へ来てなかったら出会ってなかった人が居て、そういう人のために何かを祈れることが、この街に来てよかったと思わせてくれる。傷付いても。ぼくはぼくのままで居られなくてももういいけど、キラキラ光る石を持っていたい。見つけたい。

祖父

夢でもう亡くなった爺さんに会った。爺さんはぼくをそれはそれはもう溺愛していたが、ぼくはずっと苦手だった。共通の話題はないし、話は噛み合わないし、かといって無視するような態度も取れないし、会うといつもお小遣いをくれるが、お小遣いを貰うために自分が良い顔をしているような気になって、心苦しかった。生前、一緒に釣りに行く約束をした気がする。父は、誰もいないところでぼくに「爺さんはもう長くないから、釣りでも旅行でも行ってやってくれ」と頼んだ。爺さんは帯広に住んでいたが、晩年は大きな家を売り、札幌にあるぼくの実家の裏の小さなアパートに部屋を借りていた。一度くらいしか行かなかった。旅行にも釣りにも行かなかった。

爺さんが亡くなってから、葬式で爺さんの妹さんとお話させていただいた。ぼくが爺さんについて知らなかったことを色々と聞かせていただいた。爺さんは10人兄弟だかの長男で、非常に賢かったらしい。爺さんはぼくや弟にはデレデレだったが、非常に厳しく意固地で、女性に厳しかったみたいだ。仲があまり良くないとは気付いていたが、叔母(爺さんの娘)との確執が、ぼくが思っていたよりも非常に強いことも、その時に知った。叔母は「女性は家庭に入るべき」だとか、そういった理由で爺さんに自由に生きる権利を奪われたとのことだ。兄であるぼくの父はその点、割と自由にさせてもらえていたようで、そのあたりに対する恨みや憎しみが今でもあるようだ。

ぼくが思うに、爺さんは寂しかっただけだと思う。妻と息子の他に、娘までどこかへ行ってしまうのが。だからといって叔母の想いを否定するわけではないけれど。

死後、葬儀やその他の処理等をおこなったのは父だった。あの頃、あんなに重い父の顔を初めて見た気がする。相続関係で叔母とも色々と揉めたらしい。叔母はぼくに対しては優しく明るい人だったから、父とそんなことで揉めるような姿は想像がつかなかった。

人は善いことをすると天国へ行き、悪いことをすると地獄へ行くという。でも善い人とは、悪い人とはなんだろうと思う。ぼくの家族はみな善人だと思う。思うけど、誰も傷付けたことが無いだとか、悪いことをしたことが無いだとかは思わない。爺さんは天国へ行けただろうか。そうであったらいいと思う。生前の様々なことなど、全て吹き飛ばすような国で暮らしていたらいいと思う。夢の中の祖父は、困ったような顔をしていた。お小遣いなんてもう出さなくていいんだよ。ありがとうね。

花を抱いて岸を離れた

この世の際で罪を選んでる、アマレットという曲の詞だ。罪を選んでいるという言葉が印象に残った。罪を選んでいる。生きている限り罪からは逃れられないのだろうか。買ってから毎日のように聴いている『Before Today』、THE NOVEMBERSのベストアルバムだ。THE NOVEMBERSは美しいバンドだけど結構に難解だからこのベストアルバムは非常によい。結成から12年目、12年間の間に変わったものや変わらないものを緩やかに受け入れてきたような純粋さがひんやりと心地よい。ぼくには無い、しなやかさだと思う。12年もの間やってきて、壁が無かったからこれから壁に挑戦していくんだろうと思う、というインタビューがよかった。これからも歩いていくんだなという、意気込みや気合いというよりは、呼吸や泳いでいくような自然さで、生きていくという感じがした。

ぼくはどんな罪を選んで生きていこう。

液体の夜、こわれものの朝

さいきん思ったことをただただ記しておこうと思う。幸福でも不幸でもどっちでもいいけどただ劇的じゃなきゃ意味ないと思ってしまうな。

季節が変わった、それはもう明らかに。夏にあった悲しいことは、秋になったら流れよう。何かを切り替えるのにキッカケが欲しい人だから、季節があってよかった。風邪をひいてしまい、いつぶりかと思うくらい睡眠をとって、これまたいつぶりか布団の中でゲームをしていたら、頑張らなくてもよかったことを思い出した。うつくしいひとを見て焦ることなんかない、ぼくにしか無い才能があるのだから。

こないだサカナクションのギターボーカル・山口さんとお話をする機会があった。「うつくしいものはたいてい難しい」という言葉が印象に残った。うつくしいものはたいてい難しい。それを真実だと捉えるかどうかは人それぞれだと思うが、少なくともこの方は自分の中でブレない哲学を幾つも持っている人だという印象があり、非常に安心感を覚えた。ぼくはぼくの中で絶対にブレないものなど幾つ持っているだろう。確かに信じていた幾つかの小さな約束や宇宙は残り火や溜まり日のようにチロチロと光を残すばかりだ。一生好きだと思っていた人が、はしっこになるなんて思っていなかった。

歌は本質的に会話だ、ぼくは電話ごしに歌うのがいちばん得意だと思う。息を吸うように言葉を落としてしらしらと曲を作れたらと思う。それが最も理想的だと思うのに、ぼくの制作姿勢はおそらく左脳に寄っている。パズルを組み立てるのは億劫だ。もう少し意味から離れてみてもいいのかも知れない。夜を水と捉えられる五感が欲しい。

出来るだけ優しくあろうと思って生きてきたつもりだけれど、もっと他人を馬鹿にしたり嫌いになったり出来る人の方が存在が面白かったろうなと思うことがよくある。他人を馬鹿にしたり嫌いになれるということは、逆に言うとそれだけ自己の存在が確立していて、他と対照できているということだし、他を疎外してもいいと思えるくらいの強さも持っているということだ。誰も傷付けないことが優しさだとしたら、そこに居ないことがいちばん優しいということになる。本当はぼくも誰かに何かあたたかいものを与えたい。

朝は残骸のようだ。二度と巡らない日の抜け殻。さよならを言わずに去るのと、さよならを言って去るのとでは、どちらが優しいのだろうか。光の中で白く大抵の差分を塗りつぶしてしまう朝焼け。