小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

わたしのここ

ずっと個人的でいたい、ずっとずっとそれはもうずっと個人的でいたい。いるんだろうな〜きっと。これは社会性というものを貶めているわけではなく、社会性は社会的なステージでのみ評価されるべきだと思っている。たとえば人を愛すること(別にこの例えは何だっていい)。別に殺し殺されたっていいんですよ、お互いの合意の確信さえあれば。友達にしては重いだとか、恋人にしては軽いだとか、誰だ情を最初に重量で量り始めた輩は。求められるところで立っていようとすること(社会性)は素敵だけど、感情のステージでは不純だ。なんだっていいんだ、刺したら刺され返されるとしても、愛そうとしても蹴られるし、振りほどいても付いてくる。他に言いようがないものを天才と呼んだり、他に言いようがないからとりあえず愛と名付けたりする。いつだって言葉は後付けだということを忘れない。順番が逆だということに気付いていない人が多いように思う。個人的でいたい。個人的でいたいから、イヤホンの中で青葉市子を最大音量で流しています。