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小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

音楽を聴くのにも才能が要る/要らない

日々と思考

音楽を好きということに対して天才的な友達がいる。その子は別に何も作ってないんだけど本当に音楽を好きということに対して天才で、どれくらい天才かというと音楽の聴き方にも才能ってあったんだなって自然に思ってしまうくらい天才。音楽の聴き方っていっても優れた評論家のように正しく批評が出来るとかそういった類のものではなく、単純に「音楽を聴く」という行為について優れ過ぎている。ぼくらは目で映像を捉え耳で音を捉える。捉えた信号は脳に届き、感じることができる、その過程。そんな過程に決まりなどなかったかのように、彼女は全部で、あるいは一部で、自由に、あるいは不自由に音楽を聴く。曖昧でわかりづらい例えだったかも知れないが仕方がない、もはや言葉で表現できないもの、他に言いようがないものを「天才」と呼んでいる。その子と音楽の話をしていると、音楽が素晴らしいものだったってことを自然に思い出せるので本当に楽しい。思い出せるというか、そこで初めて忘れていたことに気付くという感じだ。音楽を聴く才能は音楽を作る才能よりも世の中の役に立たないかも知れないけれど、世の中の役に立たない才能は世の中の役に立つ才能より評価されないかも知れないけれど、どっちもおんなじ才能だ。ぼくにはどうにもできないけれど、彼女がこれから先もずっともっと音楽を楽しんで生きられたなら、本当に嬉しいし愛おしい。