再生の朝とひかりのよる

メモ帳を見返したら「君の分まで不幸になれば君が幸せになれると思った」って書いてあって愚かだなあと思った、器を満たすのが好きだった、零れる瞬間に輪郭がはっきりするから、夜が深くなればなるほど1人になれるのに知らないうちに朝になるから辿り着けない、ぼく達は人間である以上輪郭を越えられないように出来ている、ボーッとしていたら言葉は浮かんでくるから才能かもしれない、鍛え方を間違えたから何にもならないかもしれない、境界を越えるときに人は人になるか人じゃなくなる、何かを変えたいと思ったり、何かを壊そうと思ったり、生きるも死ぬもだいたいおんなじだと昔は思っていたけれど、最近はどうかわからない、とりあえずぼくにはいま身体があるので、いま君が生きていてよかった

愛について

愛という1つの言葉をみんな当たり前のように使う、恋愛事はいつだってキャッチーだ、でもこの国の外では実際LOVEだとか別の呼び方をするし、色々なグラデーションのある感情を1つの共通言語で扱うのはとても怖いことだと思う、特にこの言葉に関しては。「愛してるって言ったのに」「好きだって言ったのに」自分の使っている「愛という言葉」と相手の使っている「愛という言葉」が示しているものが全く同じものだなんてそんなはずないのに、言葉があるから縛られる、繋がっているような気がしてしまう。言葉は本当はとても不完全でインスタントだってことを忘れちゃいけない、言葉で伝えられないものの方をもっと信じなくちゃいけない。いつだって大切なのは感覚だ。誰かに伝えるために名前を付けてもいいけれど、それが後付けだってことを忘れてはいけない。

有無

呼吸によって吐き出されるそれが酸素か二酸化炭素かなんて本当は些細な違いだ、吐き出し方が美しいかどうか、忘れがちだけど本当はそっちの方に価値がある。変わらないものがずっと変わらないことは嬉しい、変わるべくして変わるものが変わってしまうことも愛しいのかもしれない。人間の生命活動の全てが芸術だとしたら、そしたらもう人間でも人間じゃなくなっても結果的にはどっちでもいい。君がキラキラ光ればそれでいい。

オリジナル・ラブって良いバンド名だよね

曲がるつもりじゃない角を曲がるのが好き、モテキの小宮山夏樹のセリフだけどあのマンガでいちばん心に残っている。昨日は人生で初めてSMバーに行ってきた!知らない世界を知りたい、知らないことがたくさんあるのは最高だ、思ってもみない方向に転がっていってくれないと困る。

縄で縛られるのは不思議と心地よかった、縛られてるあいだ、そういえば3才くらいの頃に「囚われの身になっているヒーローごっこ」が好きで、母親に自分を縄で縛ってくれるよう頼んでいたことを思い出した。SMが好きなのかはわからないけど、縛られるという事象自体はけっこう好きみたいだ。自分のことだけでもこんなにわからないことが沢山あるし、ましてやこの世には沢山の人が溢れているので、世界への好奇心は尽きない。興味を失ったことより諦めたことの方がずっと多い。たとえば、生理とかこないし。

 

興味といえば最近、結婚に興味がある。ぼくの中の今年の流行語大賞は間違いなく「結婚」だと思う。したいかしたくないかでいうと、どちらでもかまわないけれど、結婚そのものに興味がある。今年は不倫も流行ったしね。

居たい人とただ居るってだけなのに、苗字が変わったりするし、結婚してる・してない、離婚した・してないでレッテルを貼られたりする。したことないからこれから先どう思うかは知らないけれど、ぼくは事実婚がいいな、今は。愛はふたりだけのものがいいので、他人や社会に示す必要なんてないし、示すこと自体が不自然だと思う。愛は出来るだけ枠から遠ざけておきたい。あるがままの形で受信し続けていたい。

愛とか関係なく、結婚すること自体にメリットがある場合は別にいい、大切なのは目的なので。 

ぜんぜん関係ないけど、オリジナル・ラブってめちゃめちゃ良いバンド名ですよね。愛はオリジナルだから、いつまでもちゃんと愚かでいようね。

地平線、水平線、空中線

何もないことが恐いだけなんだ、だからいたずらに悲しみを生むんだろう

さいきんずっとこの歌詞が胸の裏にこびりついている、何も無いよりは確かに、悲しみの方がいいと思っていた。

そんなことをここ数日考えていたら、また1つ生まれた日がやってきた。誰にも言えないことを沢山抱えたら特別になれると信じていたのは、春頃の話。全てが呪いのようだと思えていたのはいつのことだったろう。全部あんなに強かったのに全部他人事のようで、まるで感触を思い出せない。

 

さいきん幸せについて考える。

お金だとか生活だとか、未来について考える。そういう、先が長いものについて考える。今、今ここが幸せに繋がっているとしたら、矛盾な気がしている。今したいこと。今見てみたいもの。今行きたい場所。もっと身軽に生きたい。生きようとしなくてはならない。変化が緩やかだったとしても、感度は維持しなくてはならない、強めようとしなくてはいけない。

 

父からメールが来た。

四半世紀、と文面にあった。25年。これほどの人間が生まれて生きて変わったり変わらなかったりするのに25年経った。人間50年、史人はそう言ったらしい。平均寿命が延びて人の本質は変わったのだろうか。変わっていないのだとしたら、半分が過ぎたことになる。

あれから僕達は何かを信じてこれたかな、あの頃の未来に僕らは立っているのかな。夜空の向こうに明日が待っていることにも気付けないくらいに、めまぐるしく毎日が過ぎる。関係ないけどSMAPが解散したからスガシカオはしばらく夜空ノムコウを歌わないらしい。ぼくらも変わるしスガシカオも変わる。なんのこっちゃ。

 

持ち物について。

人より持ち物に執着が強いぼくだけど、もし自分の持ち物が少しでも違っていたら、どうなっていただろう。

名前、顔、身長、性別、姿形、声、特技、才能。小学生の頃、好きな女の子に「身長が低いから」という理由で振られたことがある。いま思えば理由なんて何でもよかったんだろうけど、もしぼくが彼女より身長が大きかったら、何か変わっていたのだろうか。

 

たくさんの人と出会ってきた。

二度と出会わない人もいるだろうし、何年経っても話をきいてくれる人もいる。自然に会えなくなった人もいれば、自分から会えないようにしてしまった人もいる。わかりたい人もいるし、わかってほしい人もいた。ねえ、君とはわかりあえないっぱなしだったけど、ぼくら死にたくないのだけはおんなじだったよね。

memento mori

終わりが来るものに興味がないので、ときたま息が出来なくなってしまう。今日は最悪の日だった、思考とは裏腹に身体が勝手に動かない、悔しくて悔しくて、でも涙も出ない、ぼくはぼくがいつか終わることを知識としては知っている、知ってしまった。

かつては永遠に生きられると思っていたのだろうか、昔ぼくは収集癖があって、好きなものを集めて身の回りを固めるのが大好きだった、今でもそういう節はあるけれど、以前ほどの拘りはなくなった、好きなものを集めても自分自身が立派になる訳ではないということを知ってしまったからかもしれない。
どうにかしないといけないと思う自分と同時に、どうせ終わるから意味がないと考えている自分もいる。何のために生きる。厨二病の代名詞みたいな思考だけれど、中2の前から今の今までずっと考えている。ずっとずっと見えないものを見ようとしていた。
 
運命というものを信じていた、強く強く信じていた。というか信じるというレベルでは最早なく、見えていたのかもしれない。もちろん目に見えるものではないので、物理的な話ではなく、見えていると知っているの中間くらいの感覚で認識していた。
今日、スピリットサークルというマンガを全巻読み直した。前世だの運命だのが絡まる物語で、作者の水上悟志先生は大好きな大好きな漫画家の一人だ。
読んで、いつから運命を認識しなくなったのだろう、とふと思い出して、思い出したということは忘れていたのだ、ということに気付かされた。
みんな元気だろうか、出会ったことが運命で、別れも運命だとしたら、ぼくはそれで何を得て、何を失ったのだろう。答えは風の中。ボブ・ディランがいま世間で話題らしい。
 
知は死らしい、わかんないから生きてる、わかってたら死んでるらしい。酔っ払いの戯言なんだけど、真を突いてるなあと思った。言っていたのは大学の後輩の女の子、凛としている。阿久悠が言っていたような、凛とした女の子。
ヨハン・ファウストは魂と引き換えに、全知を得ることをメフィストフェレスと契約した。
ファウストは魂を捨てたが全てを知った。人は全てを知ることができないから、知るために生きているとしたら、魂を奪われたとしてもファウストは、実は誰よりも幸福だったのかもしれない。
 
ぼくは何を知って死ぬんだろう、風に吹かれて、便利な言葉だ
 

端境

大事なものが大事かどうか失うまでわからないのだとしたら、なるほど確かにさよならだけが人生だ。バランスよく生きられる人は人生何周目なのか、はたまたバージョンが違うのか、どちらにせよ同じ人間だとは思えない。
いつも何かに依存して生きてきた。依存先を増やすことが独立するということらしいが、依存したいほど大事なもの(こと)なんてそんなに無い、だって大事なんだから。
好きな人や物が多すぎて、なんて椎名林檎は歌っていた。ぼくには一握りのプライドと、幾ばくかの羞恥心だけがひどくこびりついて剥がれない。自由と束縛は紙一重だ。というか全てが紙一重だから少しの違いが人を生かし人を殺す。
死にたくなんてない。死にたいだなんて思ったことはない。でもぼくが死んで好きな人たち全員が幸せになるとしたら、なんて浅ましい妄想、本当のところはどちらを選ぶだろう。死なないから死ぬまでわからない。死んでもわからない。