逆の希望

三浦春馬は30で亡くなっていて、青山景は32で亡くなっている。津野米咲さんは29。竹内結子さんは40。なんか歳の近しい人が亡くなっているということが、逆に希望になることがある。俺もいつ死んでもいいのかも。じゃあもうちょい生きてみる。別にいつ諦めたっていいのだ。少し気が楽になる。

風邪を引くとフィジカルがやられて、フィジカルがやられるとメンタルもやられる。殺してくれ、もう混ざり合うのはもう嫌だ。俺の人生はもう俺だけのものではない。親切な友達がやさしい言葉をかけてくれて嬉しい。悪意のない存在に色んなものが削られる。何がいけないのか考えたら、俺がこんな生き物であるからだという結論に至る。この形で生きていくしかないことが苦しい。ああ、悲しみの描写ばかり饒舌な妖怪である。幸せなことを上手く描けない。痛みだけが心の産毛を逆立て続ける。

流星街の住人

誰も悪気ないのわかってるんだけど、どいつもこいつも無邪気に俺に色んな話をして色んな話をぶつけてうんうんそうだねそうだねってして、じゃあマジで誰が俺を救ってくれるんですか?俺か。ってこれ大森靖子も昔言っていた。マジで気質が合うな。優しいって何。俺は確かにかなり優しいかも。でもそんなことは何も救ってはくれない。救うどころか、俺の首を絞めている。俺が俺を大切にするためには、もっと捨てなくちゃいけないのかも。俺は何も奪わないから、俺から何も奪うな。

羽虫

飛んで火に入る夏の虫、光を求める羽虫を人は笑うが、我々と果たして何が違うのだろうか。光を求めている。美しさって何?俺が俺を本当に大切にするためには、失うものがあまりに大きすぎるかもしれない。お別れをするのが最も苦手な俺は、ジョゼやスプモーニを思い出す。よくぞ生きることを選んだ。きちんと笑ったり、きちんと泣いたりした方がいいのだろうか。直感で選んだことは正しい、悩んで出した答えとそう変わらないとユウスケアシナも言っていた。全てを切り捨てていくのが最短の人生なのかもしれない。俺はあと何を失えば、心が許されるのだろうか。

クルシミブラック

楽しかったことを考えよう。楽しかったことを。あーあ、どうしようもない。もう終わったことばかりだ。なかったことにされたことばかり。終わっていないのは俺の中でだけ。世界でいちばん愛おしいものを、世界でいちばん憎みそうになることがある。そんなことをしてしまうくらいなら、死んでしまった方がいい。死んでしまった方がいい。そうか、死んでしまった方がいいのか?俺は。そうだった。あー、寝よ寝よ。馬鹿らしくなってきた。当たり前の話ばかりをしている。

泥の沼

苦しい。苦しい〜。なんか一生このままな気がしてきた。一生このままならまだ良いけど、どんどん老いて衰えて、生活だけ変わらず、全てがゆるやかに腐ってゆく。俺は進んでるのだろうか。それを知るのは振り返った時だけだが、ただ溺れていたら取り返しのつかないことになっているのではなかろうか。生きている意味がない。生きている意味がない。いや、そうなった時に終わればいいのか、自らの手で。どうせ全部終わる。なら今終わらせる必要はない。何十回、何百回と繰り返してきた問答。生きるのも死ぬのもおんなじだから、せめて生きていようよ。失ってきたものの全てが寂しい。愛着障害の出来損ないで、ASDの出来損ないで、境界性人格障害の出来損ない。マトモと狂人の間を揺れながら生きている。今日、何もかもがどうでもよくなって、駐車場に置いてある知らない車を蹴りそうになった。なんか逮捕とかされてみようかなって思ったんだ。この感覚が行き過ぎると、きっと無敵の人になってしまう。自分が恐ろしい。いつか、本当に狂ってしまって、どうしようもなくなってしまうことが。それはそんなに遠いところにないだろう。