水音

いつも心が3つくらいある。このまま多重人格者になってしまったらどうしよう。最近、人と会いまくっている。自分の持ち物を確かめるように。(もちろん他人は俺の持ち物ではない!縁とか、そういうところ)

みんな面白いし、人生のステージが変わったり、変わらなくても精神のステージが変わったり、何も変わらない素敵さがあったり。SNSなんかクソ!!ツイッターなんかに書けないことにこそ真実がある。

俺は俺の輪郭を、他人と関わることで確かめている。俺という存在は生まれた時から俺だが、他人から貰ったものでも構成されている。大嫌いな自分が薄まっていく。おれの良さを好きな人、ずっと好きでいてくれ頼む。もう会えないと思ってもまた会えた人ありがとう。誠実と不誠実を積み重ねて生きてきて残ってるのは誠実に関わってきたものだけ。純粋も不純もないけれど、波のように寄せては返す出会いと別れ。愛は出会い別れ、透けた布切れ恐山ル・ヴォワール。愛おしさの大きさにかまけて愛はやれない。40代で初めてラブソングを書いたバンドマンの叫びが、今も耳にこだましている。

永遠に続くものなんてないのだろうか。ずっと考えてきたけれど、100年で死ぬとしたら500年続くものは永遠だよな。そうするとおれは永遠をたくさん持っている。自分の持ち物を確かめる。輪郭を、確かめる。おれはまだ生きている。おれはまだ何も諦めていない。何も失っていない。何も忘れたくない。奇跡が待っているはず、きっと。

死の夏、詩の春

誠実だったり不誠実だったりをしながら生きてきたけど、今残っているものは誠実に関わってきたものしかない。本当は最初から答えが出ていたのかもしれない、でも実際に試さないとやっぱりわからないし身に沁みないし、魂が納得しないと何一つ意味ってないよね。

今持っているものを数えながら、過去に何かをくれた誰かが居たのだということを思い出すことになる。絶対に幸せにしてやると言ってくれたあの子は元気だろうか。誰にも伝わるはずのない肥大した自意識の輪郭をなぞってくれた時に、運命も奇跡もあると理解した。その標は今もおれの人生を支えている。

祈りなんてしゃらくさい。でも祈るしかないことだって世界にはある。どっちかじゃない、どっちもだ。祈りの白い光を抱えながら、身体はただベストを尽くすだけ。まだ使い切れていない魂があるはず。おれが何かを失う時、それは死んだ時だけ。おれはまだ何も諦めていない。

心っていくつもある。何に溺れそうになっても、大切なものを見失いたくない。

ふるえを分かち合わない

今日は出会って10年の友達、友達というか、同胞というか、兄妹というか、みたいな子とLINEを交わした。とても良いコミュニケーションが出来て嬉しかった。おれたちは言葉で会話するが、たまに言葉を越える瞬間がある。出会ってから10年の間に30年分くらい優しくされてると言ってくれた。おれは好きな人たちに優しく在りたいので、とても嬉しかった。優しさってマジで難しい。まずおれだけでは無理。自分と相手がいて、巡るものだから。優しくあれる会話が出来て嬉しかったよ。

おれは溺れるように生きている。泳ぐように生きる人に憧れている。酸素が足りないこの世界で、たまに呼吸ができるような瞬間がある。今日はそういう日だった。みなそこにてひかりをあびる

トラックで轢かない

肉体と精神は簡単に撓んでしまうから忘れないようにしなくちゃならない。嫌いな自分を捨てること、好きな自分で出来るだけいること。

嫌いな人間と自分が似ているとき、決定的に違うものは何なんだろう。どこの差が人と人を分かつのだろう。僕の好きな人にも嫌いな人に似ているところがあるのかもしれない。

俺にとって感情ってデカすぎるトラックだから、人を轢かないように、かもしれない運転をする必要がある。大切なのは大きさではなく、どう取り扱うか。これは実は全てのことについてそうかも。

余命

「何者かになりたい」みたいな幼い微熱じゃなくて、ただただ音楽がやりたくなってきた最近。何をそんなにこだわっていたのだろう。20代の頃は天才になりたくてなりたくて、というか何か閃くような才能が自分にあるのだと信じたくて、音楽をやるのがとても苦しかった。当然捗らない。何か別のことを見つけなくてはと思い、声優の道へ。4年頑張ってみたら、本当になれちゃった。そして今。天才でもなんでもないし、頑張ってみたら何かが手に入ったおれがここにいて、なんか、音楽またやりたいなって思い始めている。言葉にならない気持ちは歌に乗せる。乗せられる歌を作りたいと思う。どこかで聴いたようなメロディばかりだけど、それでいいんだ。天才はもう諦めたから。何かの焼き増しみたいな曲を沢山作れたらいいな。それが自分を肯定するということだと思う。忙しくしていないと気がもたない。震える身体を引きずって、もう、そろそろいかなくちゃ。

がいねん

与えるのも奪うのも得意だけど「何もしないのがいちばんいい」みたいな物事がいちばん苦手かも。存在することと同じくらい、存在しないことにも意味がある。概念になりたい瞬間。愛おしさだとか、優しさだとか、ただただそういう肌触りのいい言葉になりたい。フワフワの綿毛、厚手の絹。いたわりがただいたわりとしてそこに、何のストレスもなく存在していたい。

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言葉にすることで気持ちが整理されていく節がある。頭の中を巡るものを吐き出すことで見えてきたものは、優しくなりたいということだった。それはいつもと変わらないということだから、なんら大丈夫だ。いつも選んできたことだ。おれはただできることをおこなう。