小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

このよのさみしさ

静謐という言葉が好きだ、それは透明にも似ている。身体が透明になる瞬間がある。それは孤独に似ているのだけれど、寂しくも悲しくもなく、それでいて寂しくも悲しくもあり、なんというか「完璧な孤独」という感じ。あの一瞬のために生きている。2年前、ひとりで京都の街をぶらついた。山梨の街をひとり歩いた。知らない街、空は一つのはずなのにまるで違うもののように見える。そう、東京に住み始めた日もそう感じた。そういうことに気付いた時に、ふと身体が透明になる。意識が天国へ行く。宇宙になる。でも足は地を踏んでいる。君に会いたい。君に会いたい。君に会いたい。昨日までのぼくも昨日までの君も、もうどこにも居ないから、いつだって新しい人に出会う。さみしいな、これからも続いていくということだけが浮いている。毎日生まれ変わっているというのに。さみしいな、簡単に簡単じゃなく生きていけてしまう。

日々の泡、日々は泡、いつも朝

花は何の意味もないから、何の意味もない美しいだけを誰かに渡す気持ちは特別に決まっている。花言葉は誰が考えたのか、渡したいものに言葉が宿るなんて画期的だし呪いだ。連日、人を殺す夢を見ていた。殺すというか殺し合ってるんだけど、どうにか殺さずに殺されずに済む方法はないかと考えていた。銃の重さと、どこを撃っても取り返しがつかなくなるのだという想像の深刻さがリアルだった。前世か来世か、今世の未来の話だったらどうしようと思っていたらPUBGをやることになったからもしかしたらこれだったかもしんないなと思った。最近自分の生きてる意味がわからなくて、いやそれはずっと前からその通りなんだけど、色んなところに色んな知り合いや友達がいて、色んな世界があったり色んな話を聞けたりして面白いんだけど、そのどこにも自分は居なくて、フワフワと浮かんでいるだけでこれは居ても居なくても変わらないというか、根本的な話をしちゃうと誰の役にも立っていないというか、誰に何も与えられていないというか、それと絶望的に愛の才能がないので、生と死の間に固定されて終わっていくというか、もう終わってるみたいな恐怖がフンワリとあって、ぼくの友達はまあこのぼくが選んだだけあってみんな立派で素敵で素晴らしいので、まあ普通にぼくなんか居なくても最高というか、そもそも自分が居ないと駄目な人を求めようとしているようなこの発想がそもそもキモすぎるし死んだ方がいい感じなので、まあつまりまあまあオワ〜〜〜〜〜〜って感じだったんですよ。未来とか今がそんな感じだと自然と目が向くのは過去の方なんですがそこにはもう何にもないんですよ。かつて得て今もあるものと手に入らなかったものと無くしちゃったものと消えちゃったこと過ぎてったものしかないので。でまあそんな感じだったんですけど、ぼくの希少価値を教えてくれる人もいてね、めっちゃありがたかったですし、ぼくが選んで関係を持ってきた人はやっぱり最高だなって思いました。それと見ちゃいけないものを見てしまった。なんだかんだ言っても見ちゃいけないものなんて、そんなに存在しないと思っていたことを思い知らされる、見ちゃいけないものがあった。あ〜。お酒が飲みたい。せっかく朝型っぽい暮らしもすぐに終わりました。朝日が眩しいです。やらんといけんことをやる。眠たくなくても眠りたいときに眠りたい。おやすみ、ラブリーな日々たちよ。

一人称

誰かの人生の重荷や負担になりたくないといつも思っていて、それならたぶん死んで無になった方がはやいので、じゃあマイナスではなく何かを与えたいと思うのだけど、自分が誰かに与えられるものなんて持っているのだろうかという結論に、いつも辿り着く。私にできること。でも誰かのために生きる人生は結局のところ無のようなもので、自分は自分でなくてはならない。なくてはならないというか、なんというか。別にどんな形で人生を歩んでも結局最後は死ぬのでおんなじなんだけど、でもおれはおれで、おれがおれゆえに発せられる感情や思想。歩んできた道、痛かったこと。それらを無駄にしたくないというか、こんなにおれにしかない経験や持ち物があったんだから、おれがおれだという実感を持ちうりたいと思ってしまうのだ。朝は死神のようだと思う。夜と共に深まった思索や孤独や掴んだ気になったようなものを、消し去るかのようにシレっと明日を始める。住民税のこと、失業保険のこと、退職金のこと、朝ごはん昼ごはん夕ごはんのこと。最近話していないあの人のこと。終わらないタスクと将来の不安とさっきまで晴れ予定だったのにいつのまにか曇りに変わっていた天気のことと喉の痛みと。朝型生活への転向は今日も失敗しました。日が眩しい。おやすみ。

よわい気持ち、あわい愛

台風の夜にしにたくなってる、街は静か。五年前の曲を弾いて、四年前の気持ちになっている。この街は優しくも酷くもない街だが、ただ勢いと速さに流されてゆく。自分の信条を謳う際に、誰かを責めたり傷つけるやり方はしたくないなと強く思う。しかし感情は何かを受けて弾けるものだし、無意識や無自覚が強く作用する領域の話でもあるので、難しいかもしれないが。それでもそう、強く願う。恋とか愛とか本当、かなりどうでもいい。「これだった」とか「救われた」みたいなそういう強い気持ちもかなり要らなくて、ただいいなと思ったこととか、愛おしいと思った瞬間とか、点。いっこいっこ、いっしゅんいっしゅん、何かふとしたことを感じて、それを大事だと思えるものごとが本当は欲しくて、でも永遠は甘美だから油断するとすぐ信じようとしてしまうね。あなたとわたしが一生続かなくても、(ここでいうあなたとは、あなたでもあるし世界でもあるしありとあらゆる対面するものごと)、本当はよかったし、終わったことも始まってないこともあまねく等しい。く、捉えたい。台風の夜にしにたくなってる、夏。さようならの気持ち。過去とか未来とかない、地続きの百年がそこに横たわっている。君のいない世界が、君の住む国の中にうごめいている。そしておれは無職。26才の無職。

インスタレーション・センス

美しいってことは孤高ってことで、孤高ってことは傲慢ってことだ。すぐに愛という言葉を使う奴は信用できない。誰のどんな哲学を聞こうと、信用ならない。世界中の酸素を集めて燃やしたら、どれくらい燃えるだろうか。あなたに会えない日々が500年続いた。あなたに出会ってから1000年経った。人はいつか死ぬ、ひとはいつかしぬ、ヒトハイツカシヌ。なら人でなくなればいい。人間であることで保たれる美しさなんて、おれはもう要らない。人はいつか死ぬ。思い出はいつか忘れる。消えないものは消える。不滅のものはなくなる。悲しみすらいつかなくなるのなら、喜びよりずっと悲しみの方が強かったから、だから消えないものを求めるのなら、自然と悲しみに惹かれてしまうのは、至極当然のことだろうと思う。センスがない。流行りじゃない。古くさい。感情も古くなるらしい。ダサい。今は希望が流行りだよ。賢いが流行りだよ。愚かさはオワコンだ。なんだそれ。そんなのもう人間じゃないよ。ずっと美しくいられるだなんて、なんて羨ましい。

バーモント

昼間に飲んだ缶ビールで少しフワッとした身体で夜の街を歩く、静かな空気に包まれて、当たり前のように自分は一人だったと思い出す。思い出すということは忘れていたということで、自分は自分を忘れるよう仕向けるクセがある。本当に素敵な人にばかり恵まれて、毎日誰かかんかと居たり、誰かかんかのことを考えたり、誰かかんかと話したりしていると、誰かのことで自分の輪郭が曖昧になっていって、それは楽しいことだけど気持ちの悪いことでもあって、ああ、随分マシになったと思ったけれど、自分は自分のことを傷付けたいだとか、消したいだとか、そういう気持ちがあるんだと気付く。「そんなことに使われるなんて誰かもいい迷惑だよな」なんて自己嫌悪に陥ったこともあったけど、少なくともその時はその誰かのことをちゃんと大事にしているし、一緒に楽しめていると思うから、そのうちやめた。やめたやめた、どんどんやめていく。毎日弾いていたギターも毎日は弾かなくなった。目に見えないことに想いを馳せる時間も減った。といってもギターは触るし、減った時間は無くなったわけではない。でも、やめた。やめたようなものだ。生活の一部、身体の一部、魂の一部。そういうところからは抜け落ちた感覚がある。生きれば生きるほど自分は自分になっていく、それと「ありのままの自分」というもののつまらなさ。その狭間に生きている。「しないではいられないことをし続けなさい」と水木しげる御大は言ったらしいが、そんなものはない。そんなものがない人は、ただ呼吸だけをして生を消費していけというのだろうか。そんなことを御大は言っていないとは思うけれど、おれは生きている。生きているから、やはり「しないではいられないこと」でなく「した方がいいと思うこと」をやらねばと思うよ。未来は不安だが、やるしかない。まだ生を許されているのだから。