小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

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マジで誰にもわかんなくていい

 

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わかってもらいたい方のブログ

tamashiiga-yavai.hatenablog.jp/

夏の光、夏の陰

どうしても眠れないから観念してブログでも書くことにした。海と宇宙が似合うあの子がぼくのために見繕ってくれたという貝殻がどんななのかが今は楽しみだ。こないだラブサマが「ささこさんとあそびたいなって思ってた!」って言ってくれて嬉しかった。ぜんぜん連絡なんか取ってないのになあ。音楽を作る人と相対すると、ついそのラインの上で考えてしまって、ラブサマみたいにちゃんとやってる人に対しては「こんなに実績も無い人に仲良くしてくれてありがとう…」みたいな気持ちがむくむくと起き上がってきてしまう。なんかそれ、人間関係に対して失礼っぽいよね。音楽やってなかったとしても多分ラブサマのことは好きだけど、音楽やってなかったら出会ってなかったと思うから、複雑な気持ちだ。

自分のブログを読み返していたら、前にラブサマに会った日に、おれはどこかへ行ってしまう。おれはどこかへ行ってしまう。それだけはもしかしたら、少しだけ美しいのかもしれない。って書いてた。今はぜんぜん死にたくないし老いたくないし無くなりたくないし永遠が欲しいから、コロコロと気分は変わるなって思う。だからこそ、日を記しておくのには意味があるのか。そういえば眠れない夜にあの夏のことを思い出さなくなった。10代のうちには永遠だと思っていた恋もいつの間にか終わっていた。あの日魔法みたいだと思った瞬間は今も信じているけれど、きっと二度と手に入らないものだ。壊れない約束なんて無いのかも知れないけれど、100年続く約束がしたい。いつか死んだ時に全てを手に入れたと思えたのなら、それは永遠なのかも知れない。もしかすると人はいつか死ぬから永遠を手に入れられるのかも知れない。いま愛おしいものは何だろう。誰かにあげられるような経験がぼくにはあるだろうか。ぼくがいつも思い出すのは、誰かにもらった言葉ばかりだな。ぼくにしか向けられたことのない言葉たち。ぼくにしか意味のない言葉たち。もしかすると、ぼくの言葉も誰かの中にずっと残っていたりするのだろうか。そうだったらいいな。そうだったら嬉しいな。

ひとりみ

夜の海へ行った、海なんて遠いイメージしか無かったけど思ったより近くていつでも行けるなと思った。一回行ってみたらどこでも行けるし、一回やってみたら何でもできるんだよな、というのはもちろんわかっているんだけど気持ちは億劫だしやっぱり少しこわい。何かに誘われるように浜辺へ向かう、ボロボロのサンダルは海水を吸い、ぼくの足は泥まみれになってしまった。払う時に砂の粒を見た、黒とか茶とか白とか、ひとつひとつ大きさも違った。「砂」じゃなくて、一粒一粒がこの地球に生まれた物質の、自然によって整えられた形だと気付いた。この世の全てどころか、そんなこともぼくは知らない。そういうことに気付けるような気持ちで生きていたい。ぼくは独りだと思った、この場合の独りは、良い意味での独り。あの夜の海を見たのも知ったのもこの世でぼくだけだ。嬉しいような切ないような感じになって、人に会いたくなった。そしてこれはきっと正しい、人への会いたさだと思った。正しい気持ち。正しくない気持ち。感情を大事にしようとすればするほど、機械的になることが必要になってくると最近思う。してはいけないことをしないこと。したいことを確実におこなうこと。誰かが遠くへ行っても優しく見守れること。大切なものが壊れても受け容れられること。何度殺されかけても未来の砂場から希望のひと匙を掬おうとすること。壊れてもいい約束がしたい、約束ができるということを確かめたい。そういうものを大事にできるような気持ちでいること。きもち。どうしても信じられるものが無いから、足を撫でる波の感触を思い出している。

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虚血

25年とちょっと、愛だの夢だの希望だの友情だの、真実や嘘、本質、誠実さ、善く生きるということ、この身の真ん中を貫く芯と美しいとされるものについて、常日頃考えることに疲れてしまった。むしろよくここまで飽きずにやってきたものだ。身振り手振りに口頭によるコミュニケーションがヘタクソだからこそ別の道を探っていたはずが、遅筆な上に集中力もないため、作曲すらままならず、流れ過ぎていく日々と感情に才能なしと心の臓を痛めていたところ、友達が「ぜんぶ習慣らしいよ、2ヶ月間欲張らずに1個のことだけやってみなよ」と言うので最近また音楽のことばかり考えている。身体も立ち直ってきたので久しぶりにちゃんと歌ってみると、なるほど今更ながら、ぼくは話すより歌う方が得意そうだ。言葉は饒舌になり過ぎてしまう。すぐに有り余るほど伝えたくなってしまうから、もう歌か手紙くらいでしか、誰とも話したくないな。すぐに持ち得るものを乱雑に扱おうとしてしまう癖がある、壊して壊して壊して、残ったものだけ愛したいと2年前の今頃にも思った気がする。似たようなことを考えているが今は少し違うな、どうしても丁寧に扱いたいと思ってしまうものだけを大切にしたい、そう考えると、大したものはもう残っていないのだ。この気持ちも歌にしよう。何も報われなくたって、曲だけは残ってくれる。夏の間に残しておきたい気持ちがまだ幾つかあるんだ。だから身体よ早く治ってくれ〜。

打たれた点

本当のことにしか興味が無かった。それ故に嘘に対しても強い興味があった。「正直に生きなさい」というのは父の口癖だった。嘘をつくと怒られた。でも正直に言っても怒られることがあった。そうして嘘をつけなくなってしまったぼくはというと、嘘ではない、でも本当かというと微妙、というラインを探す癖みたいなものがついてしまった。さいきん、思考が邪魔くさい。嬉しいと思った瞬間は嬉しいし、悲しいと思った瞬間は悲しいのだ。かっこよくなりたいし、美しくなりたい。強くなりたいし、好きなものを守りたい。その少し後に付いてくる「ぼくなんかが…?」は要らないよなあ。狂いたくない

大森靖子ちゃんのライブを観に行ったよ

魂をめくってめくって、タマネギの皮みたいに剥いだら何が生まれるのだろう、死に近いものは醜くても美しいと思ってしまう、耳がついてるから流行りだとかそうでないとかわかってしまう、殺されたいのに殺されに行かないと殺されることすらままならないんだ、身体があるから歩けるし、身体があるから死を見ることが出来る。音楽は好きとか嫌いとかじゃない、音が鳴っている、ただ音が鳴ってるだけなんだ、この意味がわかるか?それだけの意味がわかるか?それだけで居られる、そういうことの尊さと呪いが美しい以外の何だと言うのだろう。ブロックされてよかった。本当によかった。魔法なんて無い。おれはおれとして信じるものに近づける。音楽は魔法ではない、でも音楽は。おれしか知らない、そういうものじゃなきゃずっと意味がないんだ。音楽になりたいピアノに溶けたい、そういうものを信じるのに邪魔だったものがある。愛は誰かの為に無いといけないのか?そんなの愛じゃない、そう言われてからが本番だ。此処でだけ、おれはそういうおれのことを肯定していい。そういう位置で大森靖子の音楽を聴いている。それが大森靖子の音楽を聴くということだと思っている。それが肯定されるということだと思っている。おれは。愛している、そう言うには醜すぎてかわしてきたものがある。消費者がなんだ、虫ケラがなんだ、魂があるのだから魂を見つめなくてはならない。それでいい、そう信じさせてくれたことをおれは信じるから、おれはおれのためだけに言う。愛している。一生好きじゃないかも知れないけれど、それが正しいと今は思っている。おれはおれの純度で、泣いたり笑ったり出来る。また観に行きたくなった時に、観に行くと思う。美しさがあった。美しいという言葉の意味を教えてくれて、いつも本当にありがとう。

無為/無我

眠ってしまい真夜中に起きた、都合の良い夢を見てしまった。本当に本当に都合の良い、夢を見てしまった。全部が全部納得して進めることなんてないのに、納得できないを抱えたまま生きていくのはどうしてなんだろうか。納得できないものを納得したいと思う気持ちはなんなんだろうか。理解して、言葉にも出来るのに、執着はなぜ生まれるのだろうか。他人事なら愚かさは愛おしいと思えるかも知れないけれど、自分のこととなると苦しいことについて、他人を愛おしいなどと思うことは不誠実だと思う。誰かのために生きたいと思ったことがある。それ自体は間違いや不可能なことだったとしても、誰かに優しくする機会があったなら、出来るだけ適切な形で優しさを与えたいと思うのは当然のことだと思う。ぼくは優しいのだろうか。最近、思想なんて無意味だと思う。机上の空論というか、行動が伴わなければ無意味どころか、摩擦さえ生んでしまうと思う。考えすぎて何も出来ない人より、何も考えずに動ける人の方がよっぽど素敵だから、最近は意図的に何も考えないようにする意識をしている。意識。変わりたいのに、なかなか変われない。思想がおれを取り巻く。思想が人に牙を剥く。そしてこんなことを考えている暇があるなら、ひとつでも手を動かすべきだと、また自分を責める。