メーデー/明日

あっという間に2021年、令和は3年。1月も過ぎ2月に。2020年はどんな年だったか、半分以上働いてなかったし、世界には冗談みたいにウイルスが蔓延して人々はマスク無しでは暮らせない日々をおくっているのだった。そんな馬鹿な。2019年は猛烈に働きまくっていてその勢いのまま2020年に突入、そこから無職突入からのウイルス、緊急事態でなんかフワフワしててあんまり記憶がない。不思議な一年だった。家にいることが多くなったので元々やっていたゲームの時間が特に増えた。『The Last of Us Part II』が特別。鋼の手触り、人が生きるということをただ描いた美しく哀しい映画のようなゲームだった。一生好きだと思う(多分)。あとウイルスが蔓延していてマスク無しで生きられない世界観もたまたま現実とリンクしていて凄いと思った。そんな偶然あるんだ。大事すぎて二周目ができない。思い出みたいになってる。

非常事態宣言などという聞き慣れない言葉が発令されたが実際本当に非常事態だと思う。こういった事態に直面した人々とそれを取り巻く社会と政治、閉塞感。亡くなった人も多い。醜いものは溢れているがミニマルなそばにある優しさ愛おしさを忘れないようにと思う。おれはおれの身体を持つ。自分という存在を認識することは、生きるということに直結している。生きてますか?皆さん。メーデーメーデー、生存者はいますか。わたしはここ東京、わたしという存在から発信しています。わたしはいま未だ知らぬ未来へ運命を泳いでいます。あなたはどこにいますか。人類滅亡後、自分以外の生存者を求めて彷徨うショートムービーを観た。人類は滅亡していないけれど、物は溢れているけれど、そもそも人生が荒野をゆくようなものだと思う。

と、やはり昨年のことを思うとコロナ禍という当たり前のように市民権を得た新語について考えることになってしまう。色々あったがなんやかんやおれは生きている。向かうべき方向がどちらかはわからないが、そもそも向かうべき方向などあるのかも知れないが、良くなっていくと信じた方へゆく。もう12分の1が過ぎてしまいましたが、今年も宜しくお願いします。