恋とか愛とかの渦

さいきん若い人たち恋愛模様みたいなものを間近で見せられていて食傷気味。みんな恋愛が好きで、決まりきったようにみんな恋愛が好きだからちょっとグロテスク。もちろん自分もその一部であることは否めない。誰かの存在にすがったり、誰かの存在に希望を見出してしまうことに自覚があるからこそ、わたしは地に足をつけねばと背筋を正す。やるべきことから逃げ続けて目が回っている。終わるものはどうせ終わるし始まるものはどうせ始まっていくからそこに希望も絶望も属性はなく、ただ幸福に時を過ごすだけなのに不安や戦慄や目に見えない闇が襲ってくる、誰かおれと美味しいものを食べてくれ、どうにかなってしまうことなんて街中に転がっているんだ。大好きな友達が結婚することが寂しい。結婚したから人が変わるなんてわかりやすく思ってないけれど、誰かとパートナーとなり筋を通して生きていくということ、そしてそれは大概意識するにせよしないにせよ他を切り捨てていくという透明な覚悟を孕んでいて、その人の人生の大筋から弾かれてしまったような感覚を覚えてしまう。いま書いたのは観念的な話だけれど、即物的な話にしてもやっぱり生活とか家庭とか、人によっては子育てとかに時間などリソースを割かれていくことになるだろうからあんまり遊んでくれなくなるだろうし。人はひとりでみんな他人なのぜんぜん知ってるけどそういう話じゃなくて、友達は身内じゃん。一対一だけど世間vs俺だし世界vs俺じゃん。そしていま自分が足を置いている地面は社会だし、社会ってのは人の集まりじゃん。誰とも何とも関わらず、自給自足で仙人のように生きていくことは俺にはできないから、人との関わりという事柄とはずっと付き合っていかなくてはならないだろうし、こういうことを考えていると気が滅入ってくる。はあ。さっきインターネットでまた気圧の話を目にした。今日は気圧がアレらしい。元気ないから今日はラーメン食べちゃおうかな。お金、引くほど無いけど。