願ってばかりの国

絶対に変わらないものを一生追い続ける。そう思っていた10代の頃、そんなものはないのだと幾度となく繰り返す挫折により今は自然に身に染みていく。だったら最低な気分の時にも生活は流れていくし、何に誠実にならなくたってその瞬間の気持ちをぼくだけが大事にする。そうしていくと体内に流れる時間と世界の進度がズレていき、取り返しのつかない破壊を生み出してしまうのだった。何かと比べてしか安心できないぼくは、いちばん綺麗なもののために他の部分を黒塗りするようなところがある。どんなに汚しても絶対に汚れない一箇所に純粋を垣間見て、安心をする。きづきあきらとサトウナンキの短編集の一節がやけにこびりついて剥がれない。本当を知るために本当を汚すあのさよなら。ずっと地に足がつかないのは泳いでいたからで、足が動かないのは底についているからだったのでしょうか。さかなのように生きたいと願ったあの日の夕暮れ、穏やかな時間。願ってばかりでいのちを消費していく。あんなに叫んだ黄昏、なのに今はここにいるということがたまらない。自分だけは絶対に居なくならないから、おとなしく祈りくらいは贈り続けられないものでしょうか。