沈んでばかりの海

夜が深くなると毎晩自分の人間としての才能のなさに幻滅する、わざわざこうして言葉にすることもないくらい毎晩。思ったことは言葉にしていかないとどんどん鈍っていく気がする。というかやってないこと全部どんどん鈍っていく気がする、呼吸とか。歩行とかですら出来なくなっていくんだから当たり前か。意思を持たないと意思なしで出来ることだけになってしまう、排泄とか、そういった類のもの。それは本質なんだろうか。ある意味では本質と言えるのに、どうして悲しいんだろう。

 

与えてもらうことに対してセンシティブだと思う。ぼくはよく感謝をする。時間を割いてくれてありがとう。遊んでくれてありがとう。お話してくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。優しい人はときたま、こちらこそありがとう、って言ってくれる。ぼくは与えてもらうことに対してセンシティブだと思う。こちらこそありがとう、なんて言ってくれるような素敵な人は、ぼくなんか居なくてもきっとずっと大丈夫だったよ、と思う。ぼく無しでも大丈夫だったのに、わざわざ関わってくれてありがとう、と思う。卑屈だと思う。でもそれを排する理屈も用意できないと思う。

二度と会えない人のことを考える。二度と会えないということは、二度と会えなくなるだけの何かがあったということだ。もしくは、一緒に居られるだけの何かが無かったということだ。だとしたら、出会ったことに意味はあったのだろうか。何かを与えることがぼくには出来たのだろうか。与えること。こちらこそありがとう、と言ってくれるような人達に、本当に何かを与えられているだろうか。

今、クーラーがゴーゴーと音を立てている。電源が入っていて、電気が流れている、機械だから、機械的に冷風を吐き続けている。家電になりたいなんて、クリープハイプは上手いこと歌詞にするなあなんて思う。空気清浄機とかなら、楽してやっていけそうだし、プラスマイナスで見て供与価値おれよりプラスなんじゃないかって思う。

自殺した人に話を聞いてみたいけど、自殺した人は死んでるから話が出来ない。青山景さんのマンガを本屋で見かけるたびにそう思う。ぼくは自分が受ける苦しみの大小より、自分が他人に与えられる価値の有無の方が興味があることに今気が付いた。死ぬまでに他人に与えられる良いことと悪いことの天秤が悪いことの方に触れるんだったら、今死んだ方がいいな〜とぼんやり思う。別に死にたくはないけど。誰も悲しませたくないし。ただ死んだ方がいいか、わるいかの話。