溜息は春の風に癒されて

山手線でpegmap聴いてたら疲れた身体に沁みすぎてほとんど泣いてしまった。pegmapはどうしてもpegmapしか出来なかったんだろうなっていう方向に振り切っているから尊い。そういうものに最近すくわれる、そのままでいいと言ってもらえてるような気がして。ぜんぜん売れ線じゃなかったけど。売れたかったのかな。売れたかったのかもしれないな。解散前に出したアルバムは、それまでに比べて何となく聴きやすくなっていた気がする。I know 才能 無え って歌詞が愛の才能無えに聴こえる。愛の才能ないの 今も勉強中よ SOUL、これは川本真琴ちゃんのデビュー曲の歌詞だ。愛の才能という言葉。愛に正しさなんて無いから直感に寄るしかない、その恐ろしさ。人の数だけ無限にある感情の機敏を「愛」だの「恋」だの、一文字で表すということ。そんなものを誰かと共有しようとすること。心理学的な類のものに寄っては、人の愛し方の如何は環境によって左右されるのかもしれない(学が無いからわかんないけど、そんな単純なものでは無いのかもしれないけど)。ではマトモな家庭に生まれ、マトモに育てられたというのに、上手くできないのはどうしたらいいのだろう。愛の才能が無い。壊れるほど愛してて三分の一も伝わらないの、実はちょうどいいんじゃないか???愛の才能がある。そんなことボーッと考えていた。さいきん考えてた。考えてたら色々思い出して泣いてた。小生は、ずっとさびしい重い殻、剥がれません。恐山行ってみてえ〜。面倒なことになった。生まれてからずっと。