明日以降も生きる、そういう気持ち

書こうと思っている間に寝落ちた。毎日書こうと思ってから本当に3日坊主になって絶望している。。。

昨日は書籍を出版したメンバーとZOOMで遠隔飲みをした。なんだかんだ、もう3年近い付き合いになる。中学生くらいの頃、学生時代にできた友人こそ掛け替えのないもので、社会は厳しく新たな友人なんて出来ないなんて何故だか信じていた。当時はSNSなんてものも無かったから、自分の手の届く範囲以外のことを知る術がなかった。今となっては自分の意思で足を運んだ場で出会った友人ばかりが縁近い。何よりも挑戦というものが恐ろしい子供だったが、興味のあることややりたいことには、怯えながらも勇気を出して首を突っ込んできた。たくさん痛い目も見たけど、その結果いまがある。だからわたしは何でも当たり前だなんて思っていないし、出会いや出来事にいつも感謝している。

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昨夜はandymoriを歌った。彼らが世の中に出てからもう10年以上経っていることに驚く。初めて聴いた時の衝撃たるや。わたしの人生に与えた影響の大きさは計り知れない。しかもそれは何度もライブに行ったとか直接的なことではなくて、何度も歌ったし、何度も誰かと彼らの音楽について話した。生活の中にすっかりと浸透していること、生活と共に在ったこと。そういう在り方のできる音楽の尊さを思い返した。でもわたしにとってのandymoriほどでなくても、音楽体験は誰かの人生の一部になっていて、わたしの作った音楽もきっとそうなんだ。わたしの作った音楽を演奏してくれたバンドメンバーや、ライブを観に来てくれた友人やお客さん、CDを買ってくれた方たち。個人の作ったものが、それを媒介に場やコミュニティを生み出したり、誰かの中に何かを残したり、そうやって広がっていくことの素晴らしさをわたしは知っている。だからやっぱり昨今の情勢はとても悲しいけど、またライブハウスやクラブに足を運べる日が来たらいいなと思う。

つみ、かさね

今日は暑かった、もうだいたい夏。少し夏バテ気味?体調があまりよくない。身体に穴を開けた。自分の身体を自分で選んでいく。はやくピクニックがしたいよ、家にずっといるのは案外ストレスのようで驚きだ。小学生の頃、毎日ライトノベルとマンガをベッドで横になって遅くなるまで読み耽っていた。買ってもらったMDプレイヤーで嵐かアニメのキャラクターソングを聴きながら。それが全てでそれだけが至上の幸福だったのにいつから家に篭るのが苦手になったんだろう。

今日は夏の曲を歌った。indigo la Endの夏夜のマジックは彼らの曲の中でもとってもお気に入り。今なら君のことがわかるような気がする瞬間ってあるよね。出だしの詞から好きなんだ、弱いまま大人になった僕でも強くなった気がしてはしゃぐ夜もある。川谷絵音さんの詞の中でも、あの曲のそれはかなり珠玉だと思う。

THE NOVEMBERSアマレットの詞の一節を思い出す。この世の際で罪を選んでる。罪をまったく犯さないことが避けられないのなら、選んでいくしかできないのかもしれない。夏はノスタルジーの匂いがして色々と思い出す。ぼくが今までにやってきた悪いことも思い出す。普通に死にたくなるけど、反省したり胸を壊しながら前に進む。悲しいことも大丈夫になったりして、少しは綺麗な言葉になったりする。夏は眩しいけどやっぱり死に近い季節でもあって、好きと嫌いが錯綜している。春は夏になるし秋は冬になるし、夏だけが終わる季節って聞いた。本当かどうかは知らないけど、魔法があればいいなって思う。優しくなれたらいいとも思う。胸がこわれそう。

夏ごい

無職ではあるが生活リズムを狂わせるのはよろしくないと思い、今朝は6時頃に起きた。在職中より早起きなんかーい。最近は毎日部屋を片付けているのだが進捗は芳しくない。体感的に目算の20倍以上の時間をかけている。流石に情けなくなってくる。どうしてわたしはこんなに掃除のモチベーションが出ないのか、または続かないのか。落ち込んじゃうけど明日も生きる。

目的が無いと漫然と過ごしてしまうので何か決まりごとを作ろうと思い、ギターを手に取って歌うことにした。定期的に続けようと思う。今日はsleepy.abを歌った。地味な曲だが好きな曲を歌った。

今日は暑かった。夏が近づいている気がする。本格的に夏になる前に、昨年の夏に作った曲を公開したい。夏は明るく眩しいが、最も死に近い季節でもあると思う。これはいつも言っていること。平成最後の夏とか言っていた季節からもう2年も経っている。平成生まれ平成育ちなので、平成の夏には気が遠くなるような思い出が沢山ある。令和の夏はどうだろうか。胸の奥がズタズタになるような夏はもう来ない気がする、わからないけど。夜通し散歩しながら愚かさを謳い合ったあの子も今は結婚し、伴侶と暮らしている。わたしにも共通の話題がない。あの日に観たバンドも無期限活動休止。祈りのように、良くなっていくと声に出しているが、過ぎたものを想うとゾッとする瞬間はある。蠢く夏の残骸が、ベタ塗りの青と破滅みたいな夕焼けが、わたしの中にしか無いということが空恐ろしい。これが切ないだっけ、数えすぎて忘れた。

魂ごい

毎日書くと言ったそばから8日も空いてしまった。毎日書きます。なんでいつもこうなんだと思うが、前向きにやるしかない。

仕事を辞めました。1年2ヶ月ぶりの無職です。非常に濃密な1年間でした。「一流のビジネスパーソン」なんて言葉を生で聞く機会がこれから先、何度あるのだろうか。ご存知ですか、ダイバーシティという言葉が流布されて久しい昨今、「ビジネスマン」という言葉は女性への配慮に伴い「ビジネスパーソン」と呼ぶんですよ。大変な仕事でしたが前職に入社した後悔は微塵も無いです。失ったものよりは得るものの方が圧倒的に多い体験でした。失うものの方が大きくなりそうだなと思い始めたので退職しました。

しばらく休んで色々と整えたら転職活動を進めることになると思うのですが、何この事態、何この情勢。転職市場などはどうなんでしょうか。不安はかなりあります、ありますが新しいカーテンとか家具とか服とか全然買っちゃいましたね。大丈夫ですか?わたし。大丈夫だと思います。不安と同時に根拠のない自信があるんです。なんなんでしょうね。でもこういう時はきっと大丈夫なんです。死にそうになってたらみんな助けてください。

話題のFF7R(FINAL FANTASY Ⅶ REMAKE)をプレイしました。クリアしました。わたしは昔から病的に融通が効かないというか、一度始めると一区切りつくまで辞められないというようなところがありまして、寝不足で体調を崩しながら物凄い勢いでクリアしました。つらかったです。「嫌だ〜嫌だ〜」と言いながら、寝る間を惜しんでプレイし続けました。その集中力と執着力をやるべきことに発揮してください本当。お願いしますわたし。あと、しょこたんのゲーム実況プレイ動画も拝見しましたがめちゃくちゃ楽しかったです。オタク特有の目の付け所!服のシワとかに目が行くのは絵を描くオタクの目線ですよね。しょこたんと友達になりたい。FF7のお話がしたいです。

最近の情勢の話ですが、本当につらいです。無収入の無職ですがクラウドファウンディングなど、最低限の支援はさせていただいております。ライブハウスやクラブで素敵な体験や出会いを貰ってきた身としては色々諸々が本当に苦しいのですが、まだライブハウスに行ったことのなかった頃の自分を思い出すと、あまり生活の中でそういった文化と関わりのない方が、実感を持ったり想像力を働かすことが難しいのは仕方ないのかもなとも思います。ただ汚い言葉や誰かが傷つくような物言いをする方は案件に関係なく酷いので、基本的な想像力や優しさ、いたわりは持とうよとは思います。悲しいけど頑張りましょう。月並みな言葉しか出てこないのも虚しいです。

これから先、楽しみなことも沢山あるので、今出来ること、今しか出来ないことは出来る限りやる努力をしながら、良くなっていきましょう。わたしも良くなり続けます。

千遠

毎日書こうかな、そう宣言しておけば毎日書けるんじゃないか。めんどくさいものほどやっぱり重要で、めんどくさいなあと思いながら重たい腰を上げておこなったことはだいたい気持ちのよいことだ。やりたいこと、というものについて考える。やりたいことだけやればいい、それはわかるけどやりたいことがあるってもう特別なことだとおもうよ。わたしは別に音楽も演劇も文筆も読書も勉強もやりたくなかった。正確には興味があった、でもめんどくさかった。心の底から意欲が噴き出し、やらずにはいられない、そんな気持ちでできるものなんかゲームとか、睡眠とか、食事とか、◯◯◯とか×××とか△△△とか、まあ、そんな取るに足らない消費活動しかない。わたしにとっての美しい気持ちのいいと思えるたいていの人間活動は、面倒くさいのほうが明らかに、圧倒的に強い。ではその面倒くさいものごとについて、わたしはやってきてよかったと思う。そうして形成されたわたしという存在をもって、沢山の出会いや関わりや繋がりが生まれた。血肉となっている。呼吸をしている。この足であなたに会いに行く。この手で言葉を紡ぎ、この喉で声を発し、この身体で歌を唄う。なりたい自分になるというのはなりたくない自分を潰していくことでもある。努力したりしたい。

としわすれ

気付いたら年も明けてはや四半期が過ぎてしまった。昨年ブログに残しておこうと思いながら書けていない話がいくつかあったので書いておく。

たとえば代々木のカレー屋で出会ったゆきちゃんのはなし。耳の裏に爬虫類のタトゥーが入っていて、若い頃は有名なコスプレイヤーだったらしい。声優を目指している話をすると応援してくれた。夢と出会いと奇跡の不思議なお話をしてくれて、神様に愛されてる感じがした。ネパール人しか働いていないそのカレー屋で、たまに働いているらしい。また会いたいな。

 

テレビで椎名林檎さんと小林賢太郎さんの対談を観た。小林賢太郎さんが「おもしろい人とおもしろくない人がいるでしょう?世の中には」と林檎さんに訊いたあと、林檎さんの表情を伺いながらぎこちなく「…一般論でいいです」と補足した瞬間がとても良かった。人間はおもしろい生き物だという、一般論であり一般論でない美しい前提がそこにはあった。約60分の番組でその瞬間が印象に残った。あとミスターマリックの話。

 

秋ごろに母が来た話。「老けたとか思ったでしょ」とか言われたけどぜんぜん思わなかった。本当に思わなかったけどどうなんだろう。でもまだ可愛いから心配しなくていいよ。人は変わっていくんだろうけど変わらないこともある。昔は変わらないものばかり求めていたけど、最近は変わっていくことも、正確には変わっていく方向は結局自分を形作るものによって決まっていくということがわかるので、どちらも含めて自分という存在を認識できるようになった。ぜんぜん失敗するし何のコントロールもつかなくなって最悪になったりもするけど、良くあろうとだけは常に思っているし、良くなっていっているとも思っている。

暮らし1-2-3

とても恐ろしい夢を見て気が滅入った。今持っている積み上げてきたものを全て捨てて、知らない部屋でひとり暮らしている夢。特別恐ろしいことが起こるものではなく、ただ知らない土地の、知らない部屋で暮らしていく、暮らしていかなくてはならない話。それほど好きではない知らない仕事をして、淡々と暮らしていく夢。妙にリアルで、知っているかのような触感があって、本当のようで恐ろしかった。特別恐ろしいことが起こるわけではないんだ、ただ平和に、でもそれが自分の望む暮らしではないことや、自分の意思で変えられないということが直感でわかっていること、それを甘んじて生きていくしかないのだという生々しい触感が、とても恐ろしかった。真綿で首を絞められるよりも柔らかく、閉じていく感じ。それが現実的であることが恐ろしかった。最近は気が狂ったようにゲームばかりしていた。気が狂うというより、病的という言葉が近いかも。昔からひとつ始めてしまうと、とっかかりっぱなしで離れられなくなってしまう癖がある。これは本当に病的だとおもう。面白いゲームだし面白かったんだけど、頭が痛くてやめたいのに寝る間も惜しんで生活に支障が出ても続けていた。つい先日クリアをして、やっと少し落ち着いた。自分の身体や心をコントロールできないのがよくない。やりたくないけどやるべきだと思うことを努力したりしたい。家にいるのが好きだと思っていたけれどそうでもないのかも、少しまいっている。公園ではものすごい数の子供が遊んでいた。世界中がこんな状況でも昼下がりの春の陽気は穏やかで、社会やその運営と自然は分断されたものなのだということを感じた。普段は四季に応じて社会や人々も動くから忘れがちだけど。世界中の、人の居なくなった村や町で動物たちが闊歩している画像を見た。なんだかとても不思議なことだ。

できることはたくさんあるので、やるべきことをやらないとな。