千遠

毎日書こうかな、そう宣言しておけば毎日書けるんじゃないか。めんどくさいものほどやっぱり重要で、めんどくさいなあと思いながら重たい腰を上げておこなったことはだいたい気持ちのよいことだ。やりたいこと、というものについて考える。やりたいことだけやればいい、それはわかるけどやりたいことがあるってもう特別なことだとおもうよ。わたしは別に音楽も演劇も文筆も読書も勉強もやりたくなかった。正確には興味があった、でもめんどくさかった。心の底から意欲が噴き出し、やらずにはいられない、そんな気持ちでできるものなんかゲームとか、睡眠とか、食事とか、◯◯◯とか×××とか△△△とか、まあ、そんな取るに足らない消費活動しかない。わたしにとっての美しい気持ちのいいと思えるたいていの人間活動は、面倒くさいのほうが明らかに、圧倒的に強い。ではその面倒くさいものごとについて、わたしはやってきてよかったと思う。そうして形成されたわたしという存在をもって、沢山の出会いや関わりや繋がりが生まれた。血肉となっている。呼吸をしている。この足であなたに会いに行く。この手で言葉を紡ぎ、この喉で声を発し、この身体で歌を唄う。なりたい自分になるというのはなりたくない自分を潰していくことでもある。努力したりしたい。

としわすれ

気付いたら年も明けてはや四半期が過ぎてしまった。昨年ブログに残しておこうと思いながら書けていない話がいくつかあったので書いておく。

たとえば代々木のカレー屋で出会ったゆきちゃんのはなし。耳の裏に爬虫類のタトゥーが入っていて、若い頃は有名なコスプレイヤーだったらしい。声優を目指している話をすると応援してくれた。夢と出会いと奇跡の不思議なお話をしてくれて、神様に愛されてる感じがした。ネパール人しか働いていないそのカレー屋で、たまに働いているらしい。また会いたいな。

 

テレビで椎名林檎さんと小林賢太郎さんの対談を観た。小林賢太郎さんが「おもしろい人とおもしろくない人がいるでしょう?世の中には」と林檎さんに訊いたあと、林檎さんの表情を伺いながらぎこちなく「…一般論でいいです」と補足した瞬間がとても良かった。人間はおもしろい生き物だという、一般論であり一般論でない美しい前提がそこにはあった。約60分の番組でその瞬間が印象に残った。あとミスターマリックの話。

 

秋ごろに母が来た話。「老けたとか思ったでしょ」とか言われたけどぜんぜん思わなかった。本当に思わなかったけどどうなんだろう。でもまだ可愛いから心配しなくていいよ。人は変わっていくんだろうけど変わらないこともある。昔は変わらないものばかり求めていたけど、最近は変わっていくことも、正確には変わっていく方向は結局自分を形作るものによって決まっていくということがわかるので、どちらも含めて自分という存在を認識できるようになった。ぜんぜん失敗するし何のコントロールもつかなくなって最悪になったりもするけど、良くあろうとだけは常に思っているし、良くなっていっているとも思っている。

暮らし1-2-3

とても恐ろしい夢を見て気が滅入った。今持っている積み上げてきたものを全て捨てて、知らない部屋でひとり暮らしている夢。特別恐ろしいことが起こるものではなく、ただ知らない土地の、知らない部屋で暮らしていく、暮らしていかなくてはならない話。それほど好きではない知らない仕事をして、淡々と暮らしていく夢。妙にリアルで、知っているかのような触感があって、本当のようで恐ろしかった。特別恐ろしいことが起こるわけではないんだ、ただ平和に、でもそれが自分の望む暮らしではないことや、自分の意思で変えられないということが直感でわかっていること、それを甘んじて生きていくしかないのだという生々しい触感が、とても恐ろしかった。真綿で首を絞められるよりも柔らかく、閉じていく感じ。それが現実的であることが恐ろしかった。最近は気が狂ったようにゲームばかりしていた。気が狂うというより、病的という言葉が近いかも。昔からひとつ始めてしまうと、とっかかりっぱなしで離れられなくなってしまう癖がある。これは本当に病的だとおもう。面白いゲームだし面白かったんだけど、頭が痛くてやめたいのに寝る間も惜しんで生活に支障が出ても続けていた。つい先日クリアをして、やっと少し落ち着いた。自分の身体や心をコントロールできないのがよくない。やりたくないけどやるべきだと思うことを努力したりしたい。家にいるのが好きだと思っていたけれどそうでもないのかも、少しまいっている。公園ではものすごい数の子供が遊んでいた。世界中がこんな状況でも昼下がりの春の陽気は穏やかで、社会やその運営と自然は分断されたものなのだということを感じた。普段は四季に応じて社会や人々も動くから忘れがちだけど。世界中の、人の居なくなった村や町で動物たちが闊歩している画像を見た。なんだかとても不思議なことだ。

できることはたくさんあるので、やるべきことをやらないとな。

透明は無色ではない

透明は無色ではない、あっという間に2020年。年末年始は毎年1年を振り返っていたがそんな余裕はなかった。出会いと別れが沢山あった。それはいつものことだけど、というかきっと自分が認識している以上にいつの間にか出会ったり、別れたりしているものなのだろう。さよなら人間。特別なことでないと思える日々だった。わたしはわたしよ、心があるもの。生きる。君が生きても死んでも関係ないよ。この地平に対して微妙な高さで世界線がズレていて上から見ると同じ世界に見えるけどね、微妙に交わっていないんだ。だから二度と会えなくても変わりない。認知の世界で愛しいものを愛おしむだけ、だからそのために音楽と愛と言葉がある。色を差す、ひとつ差すと裏返る、そうして転がるようにいつか終わりに立つ。まだ見ぬあなたに会えることと、まだ見ぬあなたに会える自分に祝福を。こころとからだがある。わたしは震える。いいにおいのする方へ、溺れながら泳ぐに憧れて、あぶくを吐きながら水底を歩き続ける。でも強くなる。さよなら、さよなら、さよなら。さよなら。噛み締めるように、そうであるならせめて、の言葉を持つ。ああ、希望のすべてをあますことなく。色光甘み。いろひかりあまみ。

ひかりとやみ

人に話すような面白いことがない。が、別に人に面白い話をする必要なんてないのだと今思いカタルシスを感じる。猛烈に働いている。それなりに評価も得ている。面白くもあるけどまあまあしんどい。お芝居が楽しい。少ししかない自由な時間にそれに身を割いている。声優になりたい。中学生の時に思ったその気持ちに14年経った今、また戻ることがあるとは。人生って面白い。おれって面白い。そう、人に話すような面白い話はなくても、おれはおれが面白い。好きな人がいなくなったり、最悪な自分で人を壊したりして、果てしなく悲しみがそばにあることに気付く瞬間はあっても、けっこうどうでもよかったりする。それはもちろん、関わってきた皆々が幸福であってほしいと思うし、また関わりを持ちたいと思わないとは決して言わないけれど、わたしがわたしであることとは別で、そのことを混ぜるのは逆に真摯でないと思う。分割がうまくなってきた。うまくなったというか、そういうものだということに気付いてきた。それは救いでもあり絶望でもある。というか全ての事象がそうでもあると思うが。どっちかなんてあるのだろうか。分裂は絶望だし、フェールオーバーしてるとも言える。生きてける時に誰かが死んだり、勝手に死んでも誰かが生きたりする。わたしの悲しみがいつかの光になったりするのだろう。逆もまた然りだろうけど、そっちは考えない。光だけを見る。一所懸命生きてたら、どうせ闇も混じるし。それくらいの量でいい。今日もねむたーい。

2019/10/25 - 2019/11/12

感情が火花みたいに弾けるのが好きで、地獄ばかり巡っていた。誰よりも高く弾けたら、その瞬間、誰よりも存在しているような気がしていた。パチン、パチン。すぐ飛んで、すぐなくなるのは泡とおんなじ。2019/10/25 - 2019/10/28。京都と大阪へ旅行に行った。20くらいの時に知り合った友達の家に泊まった。その前の日は大人になってから出会った人の家に泊まった。これまで色んな出会いがあって、色んな別れがあった。それらに対して、わたしはわたしのままで居られただろうか。「わたしらしさ」なんてありきたりな言葉を考える。どんどん変わっていって、残る最後の自分はいったいどんなてざわりだろう、どんな色のひかりだろう。色んな理由があってみんなわたしのことを好きになったり、嫌いになっていったんだと思う。わたしにも好きな自分や、嫌いな自分がいて、それが良いタイミングで顔を出したり、嫌なタイミングで顔を出したりする。美しい自分のままでいたいけどそれには努力が必要で、ダメなままの自分も愛してほしいなんて、月並みなことも考える。傷つけてしまった人は変に気を遣わず、どんどん離れていってほしい。わたしから嫌いになることはきっと無いので、穏やかに暮らしていてほしい。わたしは被害者になることより、加害者になることの方をずっと恐れている。それは優しさではないと思うけど、優しくありたいといつも漠然と抱えている。

 

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カネコアヤノのライブを京都で観た。今まで観たカネコアヤノさんのライブでいちばんよかったかも。カネコアヤノさんは光。すごい人を「神」って褒めることあると思うけど、カネコアヤノさんは光って感じ。なくても死んだりしないけど、あってくれて本当に助かっている。生活が豊かになる。歌を歌っていてくれてありがとう、という気持ちが沢山で、ライブを観ながらお手紙でも書こうかと思った。ライブ中にステージの上を羽のようなものが舞って、ステージライトの中へ消えていったのを見た。その絵が、妙に印象に残った。

 

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京都のお土産さんを物色していたら、店に入ってきた着物のお姉さん衆が土産を眺めながら「ぷりちぃやわぁ」と言っていたのが耳に残った。とても可愛い言葉だなと思った。良い和洋折衷。

 

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冷蔵庫のコンセントが抜けたまま、気付かずに1日を過ごしていた。冷凍庫のものが全部ダメになったので、入れっぱなしになっていたズブロッカのボトル以外すべて捨てた(正確にはいつ買ったかわからないハーゲンダッツのバニラ味が入っていたことに気付かなかったので、それも除く。あとで気付いたがまた冷凍されて固まっていたので、美味しく食べた)。悲しかったけど諦めと同時に、すっからかんの冷凍庫を見ていたら少し気が楽になったような気もした。わたしはいつも抱えすぎる。ほんとに必要だと思うもの以外、要らないはずなんだけど捨てるのが下手すぎる。取捨選択こそセンスだと他人には説くが、それは誰よりもわたし自身に向けて言っている。選んでいく、そのために五感とお金はある。

 

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11/4。大好きな人たちとピクニックをした。楽しすぎて買い出しが終わった時点で「満足したから帰ろう」と冗談を言ったけど、あれはけっこう本当で、ピクニック中ずっとボーナスタイムって感じだった。とにかく沢山の人と出会いたい、とにかく沢山の面白いものに触れたい、そういう気持ちで東京へ出てきて、実際に沢山触れてきたけど、最近は掌に収まる範囲を計っている。気負わなくてもすきでいてくれる人たちを大事にしようと思っている。輪郭を取り戻す。

 

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11/9。誕生日だった。尾崎世界観Kabanagu加瀬亮えなりかずき俺、誕生日おめでとう。誕生日を祝ってくれた人たちが生まれてきてくれたことを心から感謝します、あなた方の幸福と健やかを祈ります。わたしはつよくなる。

 

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猛烈に生きていたい。

 

 

はなすように、いきをするやうに

10/22。高井つき奈ちゃんの主催イベントを観てきた。美しかった。アイドルってかわいいけど、ステージの上にいるのがいちばんかわいいし、かっこいいし、素敵なんだって実感させられた。美しいイベントだった。つき奈ちゃんがステージの上にいる姿も初めて観たけど、本当に感動した。クラスの目立たないやつが、実はバンドをやってて、ステージでは全然違う姿を見せていたような感じ。つき奈ちゃんは普段からキュートだけど。美しいイベントだった。美しいひとの光を吸って俺は生きている。美しい絵や美しい音楽、美しいひとの優しさや愛おしさ、もらったもの、その全てがカスみたいな自分を整形してくれている。「本当の自分」なんて本当に要らなくて、なりたい自分に少しずつなっていく。おれはおれに、なっていく。やりたいことを全部やる。美しくなりたいなんて大それたこと思えないけれど、マシになり続けて、すごく良くなる。

 

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最近ノートパソコンを新調した。かわいい色のかわいいやつ。作曲のために良いやつを買った。ここ数日は毎日遅くまで働いて、帰ってきてから朝まで作曲ソフトを入れたり、設定したりしていた。ついさっき設定が完了して、起動してみたら前のパソコンとは比べ物にならない速さで動いた。ノートだから持ち運びもできる。安くて良い買い物をした。コアラコアラくん色々教えてくれて本当にありがとう。嬉しい。

 

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京都に遊びにきた。あんなに憧れて、あんなに好きだった東京に疲れる日が来るとは、あんまり思っていなかった。知らんとこに行きたい〜と思う。でも別に知らんとこならどこでもいいから、海外とかはあんまり食指が動かない。関西出身の人のことを思い出し、この街が故郷の人もいるのかと想う。自分が異物であるというような感覚が、心地よくもあり、居心地悪くもある。ぼくの知らない駅が、誰かにとって馴染み深い場所なのだ。

 

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君島大空さんのライブを初めて観た。確か言葉に寄り添うギターを目指しているというだけあって、歌が真ん中にあって、でもギターと溶け合っていて、歌のリズムとギターのリズムが、ビート的な意味でなくカッチリハマっていてとても良かった。この場合リズムというより、呼吸の方が言葉としては正しいか。永遠に忘れない瞬間って、とても大きなものもあれば、ふとした、ちょっとしたこともあると思うけれど、多分、今日のライブも忘れないと思う。息をするように、話すように歌う、美しい人だと思った。