うたのけはい

季節は前触れもなく変わる、人の心はどうなのだろう。すっかり寒くなり秋の気配、台風が連れてきたのだろうか。伝えられない気持ちや伝えてはいけない気持ち、置いてきた気持ちはぜんぶ歌にできる。私には歌がある、芝居がある、声と身体がある。なんて素晴らしい身体!最近よく自分の作った曲を聴いている。拙くていやだったけれど、いま思うと自分の言葉と声で綴ろうとしていて偉いと思った。あの痛くて痛くて苦しかった時間を、少しでも何かにしようとしていて偉い、なんて他人事のように思う。君が笑って生きる意味が汚れた、なんて詞、もう書けない!でも歌になっているし、こめかみに撃ち込まれた銃弾は今でも心の火と鉛だ。音楽になるという感覚、うたが身体の一部になっていき、揺れて白く発光するのをおれは知っている。うたにはけはいがある。青葉市子さんがそういうタイトルを曲にしていて、うわーって思った。おれに足りないのは脳、アイノウ。

2019/10/13

働いて、お金を稼いで、暮らしをする人の尊さを噛みしめている。昨日は引き続き部屋を片付けつつ、髪を切りに行った。ついこないだのことと思っていたけど2ヶ月くらい経っていた。すごい速さで時が過ぎる。おれは良くなっているが時間の速さにはあまりついていけている気がしていない。でも多分、永遠についていけないんだと思う。心の準備など、いつだって出来るものではない。それはきっと人間のちっぽけさとイコールで、大きな運命や時の流れの中で、少しでも良い方向を向こうとしながら、迎えてくれるものを受け入れていくしかないんだろうと思う。それは悲しいことではなく、ただそういうものだという話。だって何も変わらないもの。私はただ私であろうとするだけ。いつ死んで、いつシアワセになるかなんてわからない。

髪を切るのは昔から苦手だったけど、いま通っているお店はけっこう好きで、切ってくれる人も好きで、嬉しい。そういうこともある。苦手なものがすきになったり、すきなものが苦手になったり、きっとしていく。嬉しさと寂しさがいつも混じる。

髪を切ったあとはいつもの人たちと一杯飲みに行った。店では蓮根を推していて、蓮根ばかり食べた。友達のひとりが「半年分のレンコンを食べた、一年分とは言わない」と言っていて、言葉選びの誠実さとおかしさに安心した。トイレに入ったら壁の向こうからコンコン、コンコンと謎のリズムが聞こえてきたので、都市伝説みたいだなと思い、意味もなくコンコン、と返してたらトイレに入ってきた人に見られて少し恥ずかしかった。

飲んだあとは公園まで散歩して、アスレチックを一周した。すべり台を2、3回すべった。夜の公園には若者がたくさん座っていて、そんな中で本気で遊ぶ、20代後半と30代。そのあと地下に潜るタイプの自転車置き場に降りて、大きな声を出して反響させたりして遊んだ。「G/F」という仕切りの文字が「GIF」に見えて、「PNGはどこだ」「JPEGはどこだ」なんて馬鹿な会話をして、別れた。

家に帰って北海道の友達と電話をし、少し歌った。北海道に住んでいる別の友達からも連絡が来て、音楽についてなど話した。お互いに頑張ろうなどと偉そうに言った。おれは頑張っていないので、少しやる気を噛み締めた。

その後、近所に住んでいる大学時代の友人から銭湯に誘われ、向かう。湯と水と交互に浸かりながら、仕事の話などをした。銭湯を出てからコンビニでジュースを買って、公園で少し話した。奴とは大学時代、バンドを組んでいて、当時の話や、作った曲の話などをした。あの時にしか作れない、良い音源を作ったと思う。今はもっと良い曲を作れるけど、あの時にあの気持ちを形に残せたことが嬉しい。

寒くなってきて家に帰るととっくに深夜で、充電の切れたiPhoneを復活させると、大好きな友達から「よった」と一言LINEが届いていた。返すと返事がきた。嬉しかったけど夜更かしを心配した。買ったばかりのBluetoothスピーカーでスガシカオをかけながら、いつのまにか眠っていた。明日は頑張ろうと思って寝た。

たいふうのけはい

今日は台風で、久しぶりに沢山眠って、友達と電話をして、うたのかけらを沢山つくった。ちゃんと完成させたい。台風はけっこうすき。不謹慎かもしれないけど、落ち着かない感じが祭りの前夜みたい。みんなが家から出ないで閉じこもっているのもすき、街が限りなく街のままでいるみたいだから。遺跡みたい。台風が過ぎたあとの空気もすき。静けさと騒めきが入り混じったような、少し雨気の残った空気がすき。台風があがったら遊びにいこうねって話もすき。さいきん友達の数を数える。大事にしようとおもう。自分は自分に興味があるけど、大事にする気はないんだな〜って気づいた。でも誰かを大切にするためなら、自分のことをもうすこし大切にしないといけないと思う。ぼくがぼくを大切にしないのは勝手だと思うけど、その余波で他人を傷つけるのはやめたい。孤独を愛したい。ひとりでごはんを食べられるようになる。君の話をちょうどいい温度で聞けるようになる。歌を歌えるようになる。誰かを愛せるようになりたい。やさしくなりたい。身体なんてなくても美しくなりたい。嫉妬をしないし憎んだりもしたくない。ピクニックがしたい。なんだ、けっこうしたいことあるな。童顔でよかった。身体と心を知る。おいしいお酒でも飲もう。

ひとのかたち

電車にうねる人、人、人。少しくらい人の形をした人でないものが混じっていても気付かなさそう。叫び出したい気持ちと流れ出したい身体をグッと抑えてその群れに乗り込む。私は人なのだろうか、それとも違う方なのだろうか。ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん。中学生の頃に流行ったアニメの言葉を今でも思い出す。居場所がどこにも無いと嘯いていた10代を過ぎて、観念して歌を歌い始めたら人が集まってきて、居場所が生まれた。あの時の感動は今でも覚えている。ねだらないで勝ち取ったら、与えられたと思った。自分で生み出したものを自分で発信して、関わりが生まれた人たち、生まれた空間には感謝しかなかった。歌は元々好きだったけれど、歌に特別な意味が宿った。いま、私は生きている。自分の頭と心で考え、身体を動かし、選んだ道の上を、自分の足で歩いている、はずだ。でもどうしてか、何かに動かされている、ベルトコンベアの上に乗せられているような感覚を持つことがある。死までまっしぐら。日は吐き捨てられるように流るる。誰かの優しさや痛みに気付けないときはよくないときだ。おわかればかり、上手くなってゆく。どうしようもない時の自分だって自分の一部。私の持ち物の全ては、くだらなささえも私の一部。だけど哀しみや絶望は感じる。なんで善い自分だけでいられないのだろう。君の愚かさを愛せるのは自分だけだと言ってくれた人のことを思い出す。奴は嘘ばかりつく奴だったが、嘘でもかまわない。魔法みたいだから。

またむね

身体が溶けてなくなっていく。玉ねぎの皮みたいに剥いで剥いで削ぎ落としていった先に何があるかなんて、そんなことに想いを馳せることもなくなって久しい。「本当」なんて、そんなとこにあるわけじゃないと今は思ってる。本当、永遠、さよなら。さよならだ〜。全員いつか死ぬから本当にさようなら。忘れないようにしなくちゃ、ひとはひとりだってこと。すぐ隠そうとする、ほんとのこと。この胸の内を知るのはおれだけだってこと、だから美しいし、だから切ない。それは素敵なことだ。大切なのは心だ。

爪の先、指の皮

おれは生きている、ただ何をもって生きていると言う?今までに食べたパンの枚数も、爪を噛みすぎて指の皮まで噛んだ数も覚えていない。幸せだと思った回数も死にたいと心から思った回数も。今年の夏は海を見にいけなかったことが悔しい。ネモフィラ花言葉をおれは知らない。忍冬の花言葉を忘れた。唯一知っている花を人に贈ったときの気持ちは愛だったのだろうか。取りこぼしていく言葉も、気持ちも、時間も、すべて祈りという耳触りのいい煙になっていく。愛は祈りだ、僕は祈る。非常に有名なあの一節だが、祈りは呪いでもあるし、そうするとなるほど、愛は呪いだし祈りでもあるのかもしれない。そうやって言葉の意味は僕の中で形作られていく。自由だ。どんな醜い言葉も美しくなる余地がある。伝えたい言葉があっても伝える相手が浮かばない。伝えたい相手に伝えるべき言葉が浮かばない。タイミングという言葉が頭をよぎる。今はそういう時期なんだと思う。自分が自分に投げかけるべき言葉を探している。ひとりになる。海へ潜る。空を飛ぶ。エラがなくても、翼がなくても。皮膚と心がある。それはとても幸福なことだ。心のない人でなかったこと、それはとても、とても幸福なこと。宵闇にて言葉を綴る。おれはおれの言葉を綴る。