ひとのかたち

電車にうねる人、人、人。少しくらい人の形をした人でないものが混じっていても気付かなさそう。叫び出したい気持ちと流れ出したい身体をグッと抑えてその群れに乗り込む。私は人なのだろうか、それとも違う方なのだろうか。ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん。中学生の頃に流行ったアニメの言葉を今でも思い出す。居場所がどこにも無いと嘯いていた10代を過ぎて、観念して歌を歌い始めたら人が集まってきて、居場所が生まれた。あの時の感動は今でも覚えている。ねだらないで勝ち取ったら、与えられたと思った。自分で生み出したものを自分で発信して、関わりが生まれた人たち、生まれた空間には感謝しかなかった。歌は元々好きだったけれど、歌に特別な意味が宿った。いま、私は生きている。自分の頭と心で考え、身体を動かし、選んだ道の上を、自分の足で歩いている、はずだ。でもどうしてか、何かに動かされている、ベルトコンベアの上に乗せられているような感覚を持つことがある。死までまっしぐら。日は吐き捨てられるように流るる。誰かの優しさや痛みに気付けないときはよくないときだ。おわかればかり、上手くなってゆく。どうしようもない時の自分だって自分の一部。私の持ち物の全ては、くだらなささえも私の一部。だけど哀しみや絶望は感じる。なんで善い自分だけでいられないのだろう。君の愚かさを愛せるのは自分だけだと言ってくれた人のことを思い出す。奴は嘘ばかりつく奴だったが、嘘でもかまわない。魔法みたいだから。