小雨が燦々と降る夜はエモい

詩、もしくは思想

土曜日の毒とか

土曜の朝から死について考えていた、というかそれは私個人の内から自然に零れたものではなく、届いたひとつの連絡によるものだ。かつて死んでしまうと言っていた彼女は、いまどんな気持ちで生きて、連絡を寄越してきたのだろうと気になったのだ。上澄みの霞でもいいよ、君が相変わらずなら。最近のテーマは"覚えている"ということだ。ぼくは君が、あなたが、お前が、ダメダメで世界で一番最悪な時にも、君の、あなたの、お前の素敵だったことも最高なとこもちゃんと覚えているから、だから世界から君の、あなたの、お前の良いとこが消えることはないんだ、安心してくれな。そういう気持ちで生きている。そう、俺は死んでなく、生きているそうだ。生き急いでいると死に急いでいるの違いを知っている?もうどうでもいいんだの気持ちが、どうでもよくない身体を疾走らせているんだ。食欲性欲睡眠欲があって、どれかをバグらせているんだ。ねえ寂しいな、君がいないぼくだってずっとぼくだったのに、君を知ってから君のいないぼくは、ぼくじゃないみたいだろう。そういう再構築が重なって、ぼくはぼくになっていくと同時に、ぼくじゃなくなっていく。嘘みたいに生きている。生きていないのかもしれないけど。