小雨が燦々と降る夜はエモい

思うままに綴る詩、もしくは思想

嗚呼、永遠

帰りたい過去なんて本当に無いのだけれど、過去のシーンを見てみたいと思うことがある。でも見たところできっと後悔や口惜しさが先立つだろうから、二度と交わらないのが正解なんだろうなともなんとなく思う。まあそもそも、過去を見たりなんて現代、出来ないけど。もう会えない人に会いたくなることは沢山ある、でも今その人に会ったとて、かつてのその人ではないんだろうなあ。そしてかつての自分でもないから、本当にもう過去は無くなってしまった過去だ。どうして人は去り行ったものを美しく感じるように出来ているのだろう。人は、というか自分は、だけど。でもそういった創作物や諸々が存在することから、人は、と広めに言ってもまあいいだろう。昔が楽しかったから今は楽しんじゃいけないとか、今は楽しいから過去のことを想ってはいけないとか思ってたけど、別に今が楽しくてもそういう気持ちになることはあるね。それを知ったぼくはどこにでも行ける。どこにでも、行けてしまうのだ。永遠が欲しいとずっと思っていたけど、永遠は作り続けなきゃいけないらしい。青春なんてなかったし、青春は死んでいくから、毎日を大切にしたい。そのやり方もわからないまま、また夜更かしを通り越して朝になってしまった。美しさも知らない奴、というカネコアヤノの詞が、最近やけに頭にこだまする。美しさも知らない奴。おれはおれの思う美しさのために。そう思いながら半身が腐っていくことに、見て見ぬフリをしている。流れ出る思想とすら呼べない体験と体感の残滓をブログに残し、社会と感性の隙間を小賢しく泳いでいく。永遠に生きてはいけないから、ぼくらはいつまでも黄昏た。限られた時間を垂れ流すのが得意なぼくの無為がどうか、どうか少しばかりでいいので祈りを含んでいますように。