小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

ソラニン

「終わりがあるから美しい」みたいなの、あれずっと理解できなかったんですけど、そうじゃなくて全てのものには終わりがあるから、終わりを儚むだけでは寂しいから、せめて美しいと感じようとする心意気のことなんじゃないかと思い始めた、とTwitterに呟いたら1いいねだったのでTwitterはクソだと思った。というのは4月15日のこと。これまでの人生の色々が一瞬で繋がって、急に理解が降ってくることがある。もう1ヶ月経ってる。忘れたくないこと、覚えていたいこと、どんどん流れていく。むかし記憶力が自慢だったからメモする習慣がなかったの失敗だったな。まさかこんなに覚えていられないなんて。楽しそうな人が憎らしく思えてきたらいっかんのおわり。君に会いたいよ、滅茶苦茶にするために。君に会いたくないよ、救われないために。二度と会えない人はもう死んだ人なのに、いま生きているぼくは今まで出会った人たちによって形成されている。気が狂っている。真夜中、いつか死んでしまう両親や祖母のことを想って気が遠くなった。世界から剥がされていった。お先真っ暗な時は、駅のホームから一歩踏み出した未来の方が明確で、ただ明確であるという一点において魅力的に思えてくる。頭は冴えているのに何をする気力もないような、それ故に生きているということそれだけをただ全身で感じられているような、水面ギリギリのあの感じ、宇宙に繋がっていたり、透明だったりする、あの感じ、あの感じ、あの感じ。さよならだけが人生なら、あなたは今も人でいるのでしょうか。