小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

一年

毎年恒例、一年の振り返り。とりあえず去年は何を想っていたか、ブログを見返してみたら「遠くへ行きたい」って言ってた。今年はぜんぜん思い通りに行かない年だったな〜って感じだったのに、そういえば確かに職場だけはアホほど遠くなったのに気付いてちょっと可笑しくなった。物理かよ。

東京に来て三年目、一年目は感傷の年だったらしい。二年目は焦燥。今年は、たくさんサボったような気がする。怠惰。怠惰の年だな。でも身体的にも精神的にもしんどくて、色々と見直せたのはよかったのかも知れないと思う。というか、見直さなきゃいけない時期だったのかも知れない。知らないけど。知れない。怠惰という言葉で括るのは、ちょっと違う気がしてきた。

今年は愛について特に考えた。愛とは。友愛とは恋愛とは、人を、モノを、水を空気を光を、闇を、過去を未来を愛していると掲げること。その意味。正しさ。

おれは束縛や執着を「それは愛ではない」などと一蹴しない。おれは愛を完璧に知り得てなどいない。なぜ断言することが出来よう。何が正しくて何が間違っているなど、何をもって決め付けることが出来よう。一見してとれる歪みが歪んだまま千年続いたとするなら、それはもう真実の愛と呼んでも差し支えないのではないのだろうか。そうすると、愛とは終わりの時にだけその価値を計れるものなのかも知れないと思った。永遠は死んだ時にしかわからないと昔の映画で言っていた。生きる意味も死ぬ時に決まるという。人はいつか死ぬ。おれは死にたくないが、死に意味を見出す日が来るのだろうか。

生き死にといえば。今年は終わり際に「Fate/Grand Order」通称:FGOというゲームにハマった。というか、ハマりすぎていて困っている。ゲーム、なんとなく封印してきたものの、今年は体調が芳しくなかったこともあり、動かずにも出来る遊びということで、ここに来て反動のようにガッツリとキてしまった。このゲームはザックリ説明すると、過去の偉人や物語の英雄を召喚して戦うRPGだ。出てくるキャラクターが史実や神話、伝承に即しているので、調べれば調べるほど面白いし、どんどん愛着も湧いていく。ストーリーも、神話や伝承のオマージュやパロディがふんだんに盛り込まれていて、勉強にもなるし、その見事さにも感心してしまう。歴史が好きな人なら余計に楽しめるのではないかと思う。さて、生き死にの話だが、このゲームは前述のように過去の偉人や英雄が無数に登場する。もちろん皆、歴史や書物に名が残っているものの、現代では既に亡くなっている訳だ。中には戦争や処刑、病気や虐殺など、理不尽な死に方をした英霊も少なくはなく、自ずと生きる意味・死ぬ意味というようなものが、テーマとしてストーリーに織り交ぜられている。勿論その出来栄え自体に感心し、物語を楽しんでいたものの、ずっと考えてしまった。生きる意味。死ぬ意味。数々のキャラクターが自らの生きる意味・死の意味を見つめながら戦っている様を見ていると、この作品の裏にもまた、命を削って作品を生み出している方々が大勢居て、それを受けて自分は自分を見つめなおしているのだと、そういう繋がりを実感する。誰かの中に何かを残すということ。働き始めて、もう3年が経つ。社会という箱庭の中での自分の身の置き所、つまり職業についてはいつも考えている。職業でなくてもいいのだけれど。自分がいま立っている場所がいったい何処なのか、もうずっとわからないような気がしている。深みのある話になってしまった。FGO面白いからみんなやろうぜ。

おれは良くなっているのだろうか。いつも考える。人は変わっていく。得たり失ったり、老いたり改めたり、人は、流れていく。この年いちばん聴いた音楽は、カネコアヤノだった。「変わってく覚悟はあるはずだ」まず最初にしなやかさを思わせるあの人が、そう歌っていること。かなり衝撃だった。そうか、変わることってやっぱり怖いんだ。受け容れていいんだ。そして受け容れるということは、=負けではないのかと思った。おれは頭が固いから気付かなかった。いつだって勝ちに行っていいということ。負けてもそれで終わりではないということ。とがる。何かを恐れながら、それでも慈しみ、愛おしみ、前へ進んでいくことを「とがってる、かなりね」と表現しているこの曲は、とても素敵な曲だと思う。

さて、これから。どういう年にしていきたいだろう。ここ数年は他人のことを考えすぎた気がする。自分の事。もう少し自分の事が知りたい。自由になりたい。好きな人、欲しいもの、失くしたこと、祈りや呪い。うまく考えがまとまらない。沢山の人と出会った。沢山の人ともっと楽しく過ごすために、ぼくはぼくになりたい。ぼくをもっとぼくに近付けたい。あけましておめでとうございます。これからもよろしくお願いします。