小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

入れ替わり時

地元・札幌に帰省していた。会いたい人にはたいてい会えたのでよかった。ほんとに好きな人が一握りでも居て、涙が零れそうになる。好きな人には好きと伝えている方だと思うのだけれど伝わっているだろうか。いや、言葉は伝わっているかも知れないけれど。伝えたいものの色や形はその人それぞれに対してあるのに、概ね「好き」という1つの言葉に依ってしまう。こんな風に暮らしていてほしいとか、こんな気持ちで居られていてほしいとか、こんなことが待っていてほしいとか、色んな気持ちがあるのに。

夜、3時くらいに「海に行きたい」とつぶやいた。「行こう」と言われた。疲れていたし、「やめよう」と言ったんだけど、「日和ったね」と冗談ぽく言われた。

「ぼくらが20代前半だったら、迷わず行ってただろうね」という話になり、「やっぱり行こうよ」と彼女が言うので、ぼくも時間の流れに抗いたいような気持ちになって、結局行くことにした。

くるりを聴きながら、チャットモンチーを聴きながら海を目指して、THE NOVEMBERSを聴きながら海を眺めて、SUPERCARスガシカオを聴きながら帰った。話すことなんて感傷事ばかりだったが、何の意味も無くたって、何の役にも立たなくたって、それでよかった。特別美味しいと感じたことのない、帰りに食べた山岡家のラーメンは今まででいちばん美味しかった。夜と朝との入れ替わり時に飲んだ缶コーヒーは、世界でいちばん美味しかった。明けてゆく空を見ながら聴いた夜空ノムコウは今まででいちばん良かった。あれからぼく達は何かを信じてこれたかな。悲しみっていつかは消えてしまうものなのかな。夜空の向こうに、本当にもう明日が待っていて、その先の未来を想った。

f:id:kosame333333333:20171106171141j:imagef:id:kosame333333333:20171106171427p:image