優しさ、暴力、白い闇

夜は黒いものだとされているが実際は白い、黒いのは空の色だけで夜自体に色は無い、だから今日の夜は白、だということを感じ取るにはそういうものだという理解と意識が要る。もちろん青い夜も黒い夜もある。それは知ってなくちゃならない。心は器で、中身がある。最近心が枯渇気味で文の泳がせ方を思い出せないから、初めて詩を書こうとした時のことを思い出す。やや黴た木枠、埃の匂い、部屋から窓の外を眺めていた。白い月とベタ塗りの空、それ自体を描くのではなくて、それをジッと眺めているうちに浮いてくる心の中が、現実と混ざり合うそれを描いていた。わからなくなったら、あの感覚を思い出しておこう。

優しい人になりたかったのに、生きてるだけで、厳密に言うと生きようとするだけで人を傷付けるし、殺してやりたいと言われたこともある。殺してやりたいという人の殺害欲求対象はぼくではなく、脳内で悪意を煮詰めて凝縮して膨らませたぼくに似た架空の生物なので、刺すならここだよ、と自分から伝えてあげたかった気持ちは優しさだったろうか。殺したい相手がわざわざ殺していいんだよって言いに来るのは怖かったかな。でも刺すならちゃんとそんな奴じゃなくておれを刺せよって思ったし、見えない敵より見える敵をぶん殴った方が相手も楽だろうと思ったんだ。ぼくを殺せない人生と、殺して刑務所に入る人生なら刑務所に入りたいとまで言っていたのに、一向に殺しには来ない。忘れちゃったのかな。加害者はすぐに忘れるし、被害者はいつまでも苛まれ続けるみたいなことを恨みがましく言っていたのに、加害者とされていたぼくは今でもずっと覚えているから、この話はぼくの勝ちだ。全く嬉しくないけど。

さいきん久しぶりに音楽の話だけを出来る友達が出来てとっても嬉しい。好きな音楽が好きなことなんて誰かの目を気にすることじゃないはずなんだけど、やっぱり軽音サークルではBUMP OF CHICKENよりGRAPEVINEが好きな方がかっこよかったし、音楽通を自負する人達の間ではGRAPEVINEよりceroが好きな方がわかってるっぽかった。おれは昔っからスガシカオチャットモンチーが大好きだったし、凛として時雨を聴いてバンドを始めたかったの。そういう気持ちで音楽の話が出来るのはとても嬉しい。仲良くなるキッカケはとても悲しい出来事だったから、何がどう転ぶかはわからない。

信頼できる人達に「運命ってあると思う?」って訊いた時のことを想う、1人は「場所だと思う、入る学校や会社・コミュニティは決められていると思う」って言っていて1人は「人だ、人生で出会う人は誰か決まっていると思う、俺は誰よりも自分の力で人生を切り開いてきたから運命なんてあるの嫌だけどね」って言っていた。どっちも納得だ。2人のうち「場所」と答えてくれた子は「君のことを殺したい人のことは仕方ないから、誰かを傷付けた分だけ誰かを救えばいいよ」と言ってくれたけど、その比率があの頃よりマシになったかというとわかんないな。結局その子のこともボコボコに傷付けて二度と会えなくなってしまった。好きな人や大事な人ほど感情が凶器化してしまうから、もう全員とセフレみたいに都合の良い関係を築きたいなあと思う。でもきっとそれはやさしさではないから、もうちょっとどうにかしなきゃなあと思う。わたしは人の尊厳を守れる人になりたいというあの夜の一文が、今も星みたいにチカチカ光って、凛とした声で再生される。