小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

大森靖子ちゃんのライブを観に行ったよ

魂をめくってめくって、タマネギの皮みたいに剥いだら何が生まれるのだろう、死に近いものは醜くても美しいと思ってしまう、耳がついてるから流行りだとかそうでないとかわかってしまう、殺されたいのに殺されに行かないと殺されることすらままならないんだ、身体があるから歩けるし、身体があるから死を見ることが出来る。音楽は好きとか嫌いとかじゃない、音が鳴っている、ただ音が鳴ってるだけなんだ、この意味がわかるか?それだけの意味がわかるか?それだけで居られる、そういうことの尊さと呪いが美しい以外の何だと言うのだろう。ブロックされてよかった。本当によかった。魔法なんて無い。おれはおれとして信じるものに近づける。音楽は魔法ではない、でも音楽は。おれしか知らない、そういうものじゃなきゃずっと意味がないんだ。音楽になりたいピアノに溶けたい、そういうものを信じるのに邪魔だったものがある。愛は誰かの為に無いといけないのか?そんなの愛じゃない、そう言われてからが本番だ。此処でだけ、おれはそういうおれのことを肯定していい。そういう位置で大森靖子の音楽を聴いている。それが大森靖子の音楽を聴くということだと思っている。それが肯定されるということだと思っている。おれは。愛している、そう言うには醜すぎてかわしてきたものがある。消費者がなんだ、虫ケラがなんだ、魂があるのだから魂を見つめなくてはならない。それでいい、そう信じさせてくれたことをおれは信じるから、おれはおれのためだけに言う。愛している。一生好きじゃないかも知れないけれど、それが正しいと今は思っている。おれはおれの純度で、泣いたり笑ったり出来る。また観に行きたくなった時に、観に行くと思う。美しさがあった。美しいという言葉の意味を教えてくれて、いつも本当にありがとう。

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