小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

生きるのがつらい話

昔から「死ぬくらいなら辞めたらいい」論者で、どうしようもなくなったら誰かれ構わず何でも相談してたし、「本当に死にたかったら辞めてるだろう」という強引な論理でなんだかんだ挫折などせず、水泳も10年続けたし、あんなに辛かった高校の部活動とか、楽器も弾けないしコミュ力も無くてバンドが組めなかった大学の軽音楽サークルも、結局辞めずに、何事も最後まで続けてきた。逆に言うともう辞め方とかわかんないんだよな。誰彼構わず何事も相談出来たのは人との距離感が掴めなかったからだ。初めてオナニーしてしまった時の相談とかしてしまってごめんよ、ハンナちゃん。幼少期から色々なことを深く考え込みがちだったので、持ち前の生きる才能の無さも何のその、沢山失敗をしてきた分、沢山考えて、沢山学んで、何とかそれなりの人間のようにここまで生きてきた。今はそれなりの分別もあり、それなりの賢さを持ち、それなりに愚かさを誤魔化せる程度の器を得ることが出来たと思う。だからもうあんまり立派だったり美しい人の邪魔をしてはいけないから本当に話を聞いてほしい人には甘えたり何かを相談してはいけないことだってちゃんとわかってるし、いかに立派な成人男性が「死にたい」だの「つらい」だのといった弱音を公衆の面前で吐くことがいかに需要がなく、みっともないことかだって知っている。だからもう何も言えない。誰にも何も言えないし、さっさと死にたい。実は簡単に死ねることも知っている。死に方なんてググるまでもない。そこから飛び降りれば死ぬ。死なない。本当は構ってほしいだけだから死なない。自分の立場が自分の努力の至らなさや行動力の無さから来るものだと知っているし、未来に希望なんて無いと言うほど、希望が無いなんてことも無いことを知っている。希望はある。夢は叶う。才能もある。ただおれが駄目なだけ。こんな日記をうっかり書いちゃう程度には、駄目なだけ。駄目って字面きついな。駄の目。ハズレ。失敗作。つら。