戦場、線上、洗浄

そういえば年末年始は実家に帰ってのんびりしていた。日本橋ヨヲコ先生の「G戦場ヘヴンズドア」を読み直したら昔はそうでもなかったのに、今は刺さりまくってウッカリ東京の部屋に持ち帰ってきてしまった。この凄まじさを全く感じられなかった過去の自分を想い、感性の幅が拡がっているような気がして少し嬉しかった。多分、おれは良くなっている。そうであってほしい。

本物と偽物、みんな本物になんか興味はない、これは間違いない。絶望より絶望っぽいものが好かれるし、悲しみより悲しみっぽいものが好かれる。絶望も悲しみも本当は誰にも理解できないし、何処にも行けないものだから。もちろん幸せだって本当は個人的でなきゃ意味がないから、人は幸せっぽいものに憧れ、まだ見ぬ幸せっぽい場所を目指す。でもG戦場ヘヴンズドアは本物だったし完全にフィクション・ストーリーだった。本物の偽物には血潮が通う。そういう覚悟を感じた。

「本当に面白い作品は心が健康じゃないと作れない」というようなセリフがひとつ、印象的だった。ここでいう健康とは文字通りの意味なのだろうか。主人公は創作を「狂ったとこ治してる」と表現していた。健康と狂気は相対していないようだし、そしてやはり両立するものなのだろう。 

ぼくらはぼくらにならなくちゃならない。そしてどこまで狂っても狂っても健康でいなくちゃならない。悲惨で悲痛で熱くてポジティブな凄まじい作品だった。美しいものが好き。