小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

ポップンロール

昔付き合っていた女の子が「かつて好きで今はもう会えない人はもう死んだ人だと思ってる、でも来世では会ってみたい」のようなことを言っていた。じゃあぼくはもう死んだ人だ、彼女は来世で会いたいみたいだけど、今世でもう会えないのもぼくは結構さびしいよ。ぼくがぼくで君が君だったから、それはもう全部仕方ないのかも知れないけれど。

全部仕方ない。ぼくの辞書に「仕方ない」という言葉はなかった。

二度と会えないような気がしていても、思いも寄らないことで再会することだってあるかも知れないし、死なない限りどんな可能性だってあると思っていた。これはある意味では間違っていないと今でも思うし、またある意味では間違っていた。別れを経た人とはまた出会うことがあるかも知れないけれど、別れがあったという事実は消えないからだ。

別に人との出会いに限らず、もっと広く考えると、例えばどうしてもお金が無くて大学に行けないとか、「仕方のないこと」の例は容易に想像がつくので、ぼくは随分恵まれていたんだということに本当に最近まで気が付かないでいた。そして突き抜け切らずにこういうことに気付いてしまうあたり、そういう才能が中途半端だなあなどと思う。

 

誰にも言えないことを沢山抱えたら誰よりも特別になれると思っていた。

誰も気に留めないことを見つめ続けることが特別な才能だと思っていた。

だからぼくは「当たり前」を随分見過ごしてきたと思う。

例えば「なくしてから大切だったことに気付く」なんてJポップの失恋ソングの中でも使い古されすぎたフレーズだけれども、そんな当たり前すぎるほど当たり前の気持ちが自分にハマりこむだなんてなんだか気恥ずかしいし、でも当たり前のことはみんなが思うから当たり前なのであって、それはある種の真実みみたいなものを帯びてもいるのだなあと最近よく思う。当たり前、平凡、ありふれたもの。そういうものの、表面だけをなぞってわかったような気がして、その深さをぼくは知らなかった。その深みから自分の感覚や言葉で、上手く底をさらってきて形に落としこむ才能のことを「ポップ・センス」などと呼ぶのだろう。

 

論旨が明後日の方向を向いている。何を言いたいでもなく思い付くがままに筆を進めるから、よくこういうことが起こる。今夜は雨だった。ひどく冷たい雨だった。なのにわざわざ外に出て、雨に濡れてきた。雨に濡れながらYouTubeクリープハイプのライブ音源を聴いていたらたまらなく良かった。どうせ死なないんだから、そういう無駄なことをしていきたい。そういう意味のわからない瞬間をもう少し大事にしてもいい気がしました。

 

ちなみに今夜の曲はex.ダーリンです。