小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

人間でいうと

「全肯定なんて何にも見てないし選んでないのと一緒だ」って友達が言っていたので、ここ数ヶ月ずっと頭の片隅で考えていたけどやっと消化できてきた気がする、日本語は日本語でしかないので、自分語に変換できるようになるまで無限に考えてしまう。好きな人が好きだけどみんな人に言えないことや悪いことをしているのだとおもう、そのへんを真っさらな更地にして肯定するのは確かに何にも言ってないのと同じかもしれない。身内とか友人とか殺されてもその人のことを肯定できるなら本物かもしれないけれど、そんなことは大概不可能だとおもう。もし肯定できるなら、それはそれに値するだけの理由がきっとあるので、どちらにせよその人のことを深く深くまで見据えて知っていなければ出来ないことだと思う。

もう一度言うけれど好きな人が好きだ、何にも知らなくたって好きになったりもする、そういう場合は人格以外のところに理由があったりするので、外から見たら全肯定のように見えるかもしれない。例えば美術品。美術品は人格を持たないけれど、その様相の美しさに人は何かを想い、ともすれば創り手の人格にまで意識と視線が触れることもあるかもしれない。造形全体のバランスに心が動く、そういった場合は、悪人にだってその美しさを覚え、肯定することもあるだろう。

そういうことだから、美醜だとか善悪だとかはあまり関係がない。ぼくはぼくの価値観で人を好きになる、そんな当たり前のことを1から理解するのに数ヶ月かかってしまった。とにかく燃費が悪いな、500年は生きたい。