小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

地平線、水平線、空中線

何もないことが恐いだけなんだ、だからいたずらに悲しみを生むんだろう

さいきんずっとこの歌詞が胸の裏にこびりついている、何も無いよりは確かに、悲しみの方がいいと思っていた。

そんなことをここ数日考えていたら、また1つ生まれた日がやってきた。誰にも言えないことを沢山抱えたら特別になれると信じていたのは、春頃の話。全てが呪いのようだと思えていたのはいつのことだったろう。全部あんなに強かったのに全部他人事のようで、まるで感触を思い出せない。

 

さいきん幸せについて考える。

お金だとか生活だとか、未来について考える。そういう、先が長いものについて考える。今、今ここが幸せに繋がっているとしたら、矛盾な気がしている。今したいこと。今見てみたいもの。今行きたい場所。もっと身軽に生きたい。生きようとしなくてはならない。変化が緩やかだったとしても、感度は維持しなくてはならない、強めようとしなくてはいけない。

 

父からメールが来た。

四半世紀、と文面にあった。25年。これほどの人間が生まれて生きて変わったり変わらなかったりするのに25年経った。人間50年、史人はそう言ったらしい。平均寿命が延びて人の本質は変わったのだろうか。変わっていないのだとしたら、半分が過ぎたことになる。

あれから僕達は何かを信じてこれたかな、あの頃の未来に僕らは立っているのかな。夜空の向こうに明日が待っていることにも気付けないくらいに、めまぐるしく毎日が過ぎる。関係ないけどSMAPが解散したからスガシカオはしばらく夜空ノムコウを歌わないらしい。ぼくらも変わるしスガシカオも変わる。なんのこっちゃ。

 

持ち物について。

人より持ち物に執着が強いぼくだけど、もし自分の持ち物が少しでも違っていたら、どうなっていただろう。

名前、顔、身長、性別、姿形、声、特技、才能。小学生の頃、好きな女の子に「身長が低いから」という理由で振られたことがある。いま思えば理由なんて何でもよかったんだろうけど、もしぼくが彼女より身長が大きかったら、何か変わっていたのだろうか。

 

たくさんの人と出会ってきた。

二度と出会わない人もいるだろうし、何年経っても話をきいてくれる人もいる。自然に会えなくなった人もいれば、自分から会えないようにしてしまった人もいる。わかりたい人もいるし、わかってほしい人もいた。ねえ、君とはわかりあえないっぱなしだったけど、ぼくら死にたくないのだけはおんなじだったよね。