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小雨が燦々と降る夜はエモい

わかってもらえなくてもいい 日々の記録

むすび

日々と思考
「社会に迎合するとつまらなくなる」なんてふた昔前のロックンロールでも安易だったかもしれないけれど、元々の逃げ癖と感傷中毒がどんどん悪化しているような気もする
さいきんは、というか昔からだったかもしれないけれど、でも昔よりは消極的にかつドップリと深く、ツイッターとかいう他人の思考が解像度低めに流れ込んでくるインターネットを日がな眺めている
インターネットは隙間だらけな上に味付けが濃いので、他人の思考を眺めているにも関わらず向き合うのは専ら自分、自分の中にどんどん潜り込んでいくと拾えるものなんて感傷くらいしかないはずさ、過ぎたものしか身体の内側には残らないのだから

昨日は話題のシン・ゴジラを観た、気持ちが良かった、贅肉がない映画だった
そこまで庵野監督に詳しい訳ではないけれど、庵野監督が特撮に深い思い入れを持っていること程度は知っていて、樋口真嗣さんだったり、昔からの特撮好きのおじさん達の、好きって気持ちだけがシンプルにそこにあって、もちろん沢山の仕掛けがあったんだろうしその半分にもぼくは気付かないけれど、芯の強靭さだけでぼくは気持ちがよかった
インターネットばかり眺めていると、脳に贅肉がつく
生じゃなきゃ伝わらない良さ、だなんて時代遅れかもしれないけれど、生と生じゃないの間には、圧倒的に深い隔たりがある、少しの違いのようで、それは属性の違いではなくもはや物自体の違いなのだから

勝ち負けだとか、成功失敗だとかを考える
このあいだ友達(だとぼくは思っている)さいあくななちゃんが「満たされたら終わるからお金をめちゃめちゃ使ったら貯金が無くなっちゃって生活も危うくなった」みたいなことを言っていた
絵で食べていきたいさいあくななちゃんが、せっかく絵で稼いだお金を そんなこと の為に消費してしまうということ
何人がそれを愚かだと笑うんだろう
飢えが芸術を深化させるなんてそうとう時代遅れな考えだと思うし、築いた土壌の上で成功の為に策を練るのが現代の主流だと思うし、なんなら活動の為の土壌を築かないことこそを怠慢だと言う人もいるかもしれない
でもぼくはスンナリと理解できたし、全部その通りだと思ったよ、これは理屈だとか、成功の確率だとか、勝ち負けだとかそういうところの話じゃなくて、なんとなくそういうことがある人には、そういうことがあるっていう話なんだ
気圧が低くなると具合が悪くなったりだとか、夜更かしするとお腹が痛くなったりだとか、そういう単なる持ち物の話で、そう思ったからさいあくななちゃんにとっては多分それは間違いなくて、彼女にとってはそれは正しいやり方で、彼女が描きたい絵を描くには選ばざるを得なかった選択なんだろうと思った
選びたいことを選ぶという、ただ当たり前の彼女の生き方が眩しくて、普通に泣きそうになってしまった
彼女の絵は彼女の人生なので、彼女の存在ありきの芸術だから、理解されづらいし売れ線でもないなあと思う、でも、どうにかなってほしいと心から思う
淀みばかりのぼくの心の中で、ただ真っ直ぐそう思わせてくれる彼女の存在にぼくは感謝しっ放しだ